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「神尾弥 & 居﨑圭 Duo マリンバとピアノのデュオ・コンサート」に出かけました。 [勝手に応援団]

2017年10月29日(日)あいにくの台風直撃の日でしたが、
「神尾弥 & 居﨑圭 Duo マリンバとピアノのデュオ・コンサート」
に出かけてみました。

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会場は、静岡市葵区七間町の「江﨑ホール」9階です。



パンフレットです。
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落ち着いたとても居心地のいいホールです。

この日来ていたお客様は、クラシックのコンサートに
馴染んでいる方が多いようでした。
この日の構成は、
第一部はお二人で演奏、その後中休みの後で、
居﨑圭さんのピアノの演奏、そして、神尾弥さんのマリンバの演奏、
最後はまた、お二人で演奏、ということでした。

ぱらぽんも取材モードではなかったので、写真は遠慮いたしました。
終了後、圭さんに記録として曲名等の掲載許可をいただいたので、
パンフレットや、圭さんのfacebookの記事などを引用させていただき、
書かせていただきます。

(▼ 圭さんの記事より引用 ▼)

第1部  marimba&piano
marimba: 神尾 弥 Wataru Kamio piano: 居﨑 圭 Kei Izaki

I.ストラヴィンスキー : イタリア組曲

この曲は元々、芸術家ディアギレフ率いるバレエ団
バレエ・リュスによる「プルチネルラ」という演目につけられた音楽です。
イタリアには「コメディア・デラルテ」という古典的な即興劇の形態があり、
それは仮面を付けて演じられ、大げさな感情表現やパントマイムを取り入れた
非常に大衆的な笑いのための演劇です。
仮面をつけることによって却って
人間の生々しさや滑稽さを浮き彫りにするということでしょうか。
その形態をバレエに落とし込んで着想されたのがこの「プルチネルラ」。
音楽も古く18世紀のイタリア音楽を素材として扱っています。
ストラヴィンスキーはそこに彼独特の和声やリズムを織り交ぜ、
底抜けに明るく、洒脱で愛らしい音楽を作り上げました。
お話は、色男のプルチネルラとその恋人ピンピネルラを取り巻くドタバタ劇で、
主人公がすり替わったり、魔法使いがでてきたりのお決まりの喜劇。
音楽も舞台同様、コロコロと表情を変えます。
小編成のオーケストラによる原曲の他に、
室内楽用に編曲された版もいくつか存在しますが、
本公演ではチェロ&ピアノ版を基に演奏します。
ストラヴィンスキー特有の、乾いた響きや原始的なリズムは、
マリンバにはうってつけかなと思っています。
ぼくは昔から、絵画やデザインなど、一見シンプルにみえて、
どこか違和感があったり毒があったりするものが好きです。
この音楽はまさにその感じ。
個人的にこの音楽とても好きなんです。
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M.ラヴェル : ヴァイオリンソナタ ト長調

Ⅰ. Allegretto
Ⅲ.Perpetuum mobile

この曲は1922年から1927年までの5年に渡る制作期間を経て完成された、
ラヴェル最後の室内楽曲である。この5年という年数についてラヴェルは、
「無駄な音符を削るのに必要だった」と語っている。
彼がそう言うとおり、曲は一分の隙もなく凛としたフォームを持ち、
2つの楽器はどこまでも緻密に絡み合う。
ぼくはこの曲を聴き、凝り性の職人の仕事を感じさせるそれまでの作品に比べ、
力の抜けた衒いのないシンプルな美しさを感じ、
あらためてこの作曲家の優れた力量を知った。

第1楽章 Allegretto
冒頭は「漂い」のテーマ。
それは香りかもしれないし、気づかないほどの微風かもしれないし、
何気ない思考かもしれない。
楽章全体が漂い、同じところに留まろうとはしない。
そのテーマはモチーフとして様々な形で2つの楽器で引き継がれる。
あるところでは極端に音数が減らされ静物画のような張り詰めた空気を作り出し、
またあるところでは音は粒子のように扱われ散りばめられ、
うねり、こぼれ落ちそうな波をつくりだす。
この曲は何も説明していない。抽象画を動かしたアニメーションをみるようだ。

第2楽章 Blues
「ブルース」の副題で有名だが、本公演では割愛する。

第3楽章 Perpetuum mobile
無窮動。
ソロ楽器はどこか居心地の悪さを感じさせながら変幻自在に転調を繰り返し、
落ち着きなく執拗に動き続ける。ピアノは足を踏み鳴らすように和音を刻み、
時折意味深な呪文のようなフレーズを響かせる。
お互いをけしかけるように曲は膨らみ、
最後に第1楽章冒頭のテーマが回帰され、輝かしく曲をとじる。
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== 中休み ==
第2部
piano solo  piano: 居﨑 圭 Kei Izaki

ピアノソナタ ニ長調 kv311 (1777) W.A.モーツァルト

Ⅰ. Allegro con spirito
Ⅱ.Andante con espressione
Ⅲ.Rondeau Allegro
この曲には明るさがあり、歌があり、おかしさがあり、安らぎがある。
オーケストラの響きが容易に想像できるし、
その奏者たちの何と楽しそうなことか。
奏者、聴衆ともに会場全体が喜びに包まれる、
彼のオペラに流れる空気がこの曲にも感じられる。
ニ長調はあの「フィガロ」の調だ。
ぼくは、モーツァルトのともすると画一的であまりにも楽観的にみえる仕事ぶりに、
一時は少し疑問を抱いた。
しかし今ぼくはこの時代を生きていて、この音楽があらためて愛おしい。
明るく、喜びが素直に喜びとしてあることは、
いかにかけがえのないことで同時に難しいことだろう。
モーツァルトは絶えず冗談を口にしながら、
そのことを知っていたのかもしれない。
これまで数々のピアノの巨人たちが、
その巨大な手で大切にこの音楽を弾いてきたその心情も、
今少しわかるような気がする。
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marimba solo marimba: 神尾 弥 Wataru Kamio 

C.ドビュッシー : <子供の領分>から グラドゥス・アド・パルナッスム博士
S.ラフマニノフ : ヴォカリーズ
武満 徹 : ヒロシマという名の少年
     島へ

内も外も騒がしい世の中
何気ない日々、こうして音楽出来る時間
世界は、そしてここ日本は、どこへ向かっているのだろうか。

風、火、大地、空、
そんなことをイメージして、この4曲を選びました。

生かされている時間は限られているのだから、
曇りのない目で、見極めて生きていたい。
(* 神尾弥さん パンフレットより引用)
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(*以下、圭さんの記事より引用)

信長 貴富 : 種を蒔く人

出版譜にある作曲者信長 貴富さんの序文です。
抜粋しようと思いましたが、思いの詰まった文章のように感じたのでそのまま掲載します。
種を蒔く人
~マリンバとピアノのために~(2011)   
  信長 貴富

Ⅰ.種を蒔く人 The Sower
Ⅱ.涙     Tears
Ⅲ.蠢き    Wriggling

この作品はマリンバ奏者・布谷史人さんの委嘱で作曲し、
2011年7月に初演されたものです。
作曲の構想を練っている時期に東日本大震災が起こりました。
東京にいた私は被害から逃れましたが、
絶望的なニュース映像を目の当たりにし、
仕事が手につかない日々がしばらく続きました。
今回の震災では地震や津波による被害だけでなく、
原子力発電所の事故が世界に衝撃を与えました。
この事故が起こるまで私は原子力発電事業について全くの無知でした。
私はまず無知であることの罪を自覚することから始めました。
そのことがこの先、私が作曲家として生きていくために必要だと感じたからです。
原子力事業関連の情報をネットで読み漁っていた時に、
日本のNPOが行っているナロジニ再生・菜の花プロジェクトという活動を知りました。
チェルノブイリ原発事故により汚染された土地に
菜の花(放射性物質を吸収するとされる)を植え、菜種油からバイオ燃料をとり、
最終的に凝縮された放射性物質の汚泥を管理するというのがこのプロジェクトの内容です。
菜の花によって吸収される放射性物質はわずか1パーセントとのこと。
途方もない作業ですが、絶望の中から一歩踏み出すこの活動は、
新たな音楽を書き始めることができなかった私に
ヒントを与えてくれました。
そして音像より先に「種を蒔く」という キーワードが固まりました。
「種を蒔く」という言葉からミレーの絵「種を蒔く人(The Sower)」が思い当たり、
キリスト教世界で言う「種」の連関から聖書・詩篇126番の詩句
「涙をもって種蒔くものは、喜びの声とともに収穫するだろう」に行き当たり、
ここから音楽の具体像が次第に浮かび上がってきました。
作曲行為は無力かもしれないが、音楽は強い、そう信じながら構想を固めていきました。
このような経緯から「Ⅰ.種を蒔く人」と
「Ⅱ.涙」は詩篇の言葉から採ったタイトルになりました。
「Ⅲ.蠢き(うごめき)」はやや不気味な印象の言葉ではありますが、
漢字表記では「春」が含まれており、生命がうごき始める季節、
あるいは命の予兆…のような意味を感じながら作曲した楽章です。
どの楽章も、種・涙・細胞分裂…といった
小さな粒とマリンバの音の粒のイメージのリンクから、
音のきっかけを得ています。
信長 貴富
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外は、台風の大雨でしたが、
ホールの中は心地よい「音」の世界であふれていました。
嵐の日に、あえてコンサートにいらした聴衆の皆さんも素晴らしく、
とても落ち着いて、聴かれていました。
楽章の合間に拍手をしなくていいのかしら?
と迷うような方もいらっしゃらないで、
どきどきしないですみました。
外は嵐でも、このホールの中はコクーン(繭玉)の中のようで、
素敵な音の絹糸が紡がれていました。

アンコールは、バッハの「G線上のアリア」。
激しい曲の後に、落ち着いたゆったりとした曲が奏でられ、
コンサートの終わりを惜しむかのようでした。

一夜明けて、
圭さんの記事より

昨日DUOコンサート終了しました。
嵐の中の開催となりお客様には申し訳ない気持ちでしたが、
そんな中たくさんの方々にお越しくださり、演奏者としてとてもうれしかったです。
打楽器は発音へのアクションが明確で直接的なので、
こちらもとても感化されるところがありました。
弦楽器、管楽器や声楽にはない振動を伝えてくれ、やはりこちらも鼓舞されます。
共演者を得たからこそできたプログラムだったし、どれも大切な曲になりました。
今までの自分にはない新しいことができたように思います。
神尾さんに感謝です。
みなさんと一緒にこのコンサートを作ることができて本当にうれしかったです。
ありがとうございました!
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そうそう、コンサートの日、心地よい余韻に浸りながら、
2階まで降りてきたところで、こちらの展示を見つけました。
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「FU-FU展」
【版画】青木鐵夫 青木晴美 
【絵画】市川元晴 疋野晶子 
【彫刻】登坂秀雄 とさかますみ
 賛助出品【彫刻】杉村孝
1986年にジャンルの異なる三組夫婦による『FU-FU』展を、
杉村孝氏の企画により紺屋町ガスサロンで開催しました。
それから31年、再びの『FU-FU』展だそうです。
【展示期間】 10月26日(木)~11月7日(火) 11月1日(水)休み
【開閉時間】 11:00~17:00(最終日16時終了) 観覧無料
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