焼津おんぱく2018 No.27「港町をあるく!焼津・浜通りの歴史さんぽ」 [焼津おんぱく]
2018年2月17日(土)10:00〜
焼津おんぱく2018 No.27「港町をあるく!焼津・浜通りの歴史さんぽ」
が開催されました。
集合場所は、焼津市本町の「船玉浦神社」
参加者の皆さんは、13名でした。
NPO法人「浜の会」からは、2名。
「焼津観光ボランティア」からは4名が、勉強に来られてました。
そして「焼津おんぱく実行委員会」からは、こちら。
凸凹母娘(?)コンビです。がんばります。
こちらは、通称「ふなだまさん」と呼ばれる
「船玉浦神社」です。
風が強い日だったので、解説の声が聞き取りにくいと、
A班、B班と2つのグループに分けました。
A班は、「浜の会」の清水会長が担当。
神社の鈴の下に付いている紐は、「鈴緒」というそうですが、
焼津にある神社の「鈴緒」は、このように
ロープワークで飾られているものがあります。
漁師の皆さんは、漁場に付くまでの間は時間があるので、
セーターを編んだり(フィッシャーマンズセーターですよね?)、
このような綱を編んだり(マクラメ編みのようですね)、
ボトルシップを作ったり、したのだそうです。
4つに分かれた「いかり」を紹介。
焼津の港です。
小石川沿いに進みます。
大井川から材木を運ぶのに使われたそうです。
小川地区には材木屋が多かったそうです。
ここには「小泉八雲諷詠之碑」があります。
「小泉八雲と焼津」の関わりを説明した看板です。
八雲は、通算6回、焼津を訪ねたそうです。
清水さんは、「八丁櫓」の説明もしてくれました。
鷹狩りに来た家康公は、駿府から御座船できたそうですが、
その船のスピードが速くて、護衛を務める漁師たちも追いつけない。
そこで、他では禁止されていた櫓を八丁にして欲しいということで、
焼津の漁師のみ、「八丁櫓」を許されたのだそうです。
早く漁場に付けば、早くたくさん獲れる。
そうして焼津の港は賑わったのだそう。
B班は「浜の会」の永岡さんが担当です。
船の帆などを扱う「帆布」屋さんの建物です。
この道には、焼津市の「デザインマンホール」もありますよ。
ほら!
こちらも!
焼津らしい風景です。
真ん中のマークは、焼津市の市章ですね。
伊豆石で作られた倉庫です。
なぜ伊豆石が焼津にあるのか?
焼津の鰹節を江戸に売りに行った帰り、
空の船では安定性が悪いので、伊豆に寄って、
伊豆石を積み込み持ち帰り、蔵などに使われたそうです。
伊豆石は柔らかく加工がしやすかったので、重宝だったとか。
この倉庫は、壊すことになった金山さん(?)のものを
譲り受けて建て直したそう。
次は「北の弁天さん」です。
松も立派です。沖から見えたのだそう。
船元の奥さんや、船子の奥さんたちが、この神社に籠もって、
夫たちの無事と豊漁を祈ったそうです。
こちらは船元さんのお宅です。
消火栓もいなせです。
こちらは、食品加工業のお宅の典型。
前が住まいで、後ろが加工場だそうです。
こちらは、小泉八雲が滞在した「山口乙吉」さんの住居があった場所です。
現在その建物は、愛知県の明治村に移築されているそうです。
「北の御旅所」です。
焼津神社の荒祭の時に、「御供捧(おんくささげ)」の神事が行われるところです。
「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が、ここから上陸したのだとか。
ここです!!
ここにも「八雲ゆかりの地」の看板があります。
「焼津市教育委員会・小泉八雲顕彰会」すごいですね。
カラーマンホール、ここにあります。
焼津市のマンホールカードの図柄になっているのはこれです。
「焼津観光協会」に行くともらえます。
かつての浜通りの暮らしは、波との闘いであったと。
以前の堤防はこの辺り。
こちらは、「八雲地蔵(波除地蔵)」。
由来はこちら。」
このお地蔵さまは昭和41年に新しく作られたものだそうです。
八雲が見た古いお地蔵さまは、光心寺に祀られているそうです。
こちらは、焼津の水産業に貢献した人々を讃える石碑です。
海岸に近いお宅では、個人宅でもこのくらいの波除けを用意していたと。
続いては、「常照寺」。
浜通り界隈で住職がいらっしゃるお寺は、こちらだけとか。
「おびんずる」さん。
実在の仏さんで「びんずる尊者 」
ありを殺してお釈迦様に叱られたそう。
目を大きく見開いているのが特徴
春、見つけました。
全員が集まり、住職のお話を聴けることに。
浄土宗の数珠のお話。
阿弥陀さまです。
後背には九品仏が祀られています。
この阿弥陀さま、最初は白木のままだったそうですが、
住職のご子息が、北京オリンピックのレスリングで銀メダルを獲得した、
松永共広選手なのですって!
それでその記念に、金箔を掛けたのですが、
銀メダルに因んで、頭光を銀色にしているそうです。
すごいですね〜。
こちらは「魚藍観音」です。
いいお話と、いいものを見せていただきました。
ご住職ありがとうございました。
こちらは、鰹節を作っていたお宅。
昔ながらの佇まいが今も見られます。
美しい素戸です。
この建物は、焼津市に寄贈された建物。
これから、浜通りの発信のために有効利用が検討されているそうです。
「ぬかや」さんのところまで来ました。
お隣は「丸八」さん。
こちらで、アンケートを書いてもらいました。
最後の記念撮影です。
風が強かったですが、お天気には恵まれました。
皆さま、ご参加ありがとうございました。
焼津おんぱく2018 No.27「港町をあるく!焼津・浜通りの歴史さんぽ」
が開催されました。
集合場所は、焼津市本町の「船玉浦神社」
参加者の皆さんは、13名でした。
NPO法人「浜の会」からは、2名。
「焼津観光ボランティア」からは4名が、勉強に来られてました。
そして「焼津おんぱく実行委員会」からは、こちら。
凸凹母娘(?)コンビです。がんばります。
こちらは、通称「ふなだまさん」と呼ばれる
「船玉浦神社」です。
風が強い日だったので、解説の声が聞き取りにくいと、
A班、B班と2つのグループに分けました。
A班は、「浜の会」の清水会長が担当。
神社の鈴の下に付いている紐は、「鈴緒」というそうですが、
焼津にある神社の「鈴緒」は、このように
ロープワークで飾られているものがあります。
漁師の皆さんは、漁場に付くまでの間は時間があるので、
セーターを編んだり(フィッシャーマンズセーターですよね?)、
このような綱を編んだり(マクラメ編みのようですね)、
ボトルシップを作ったり、したのだそうです。
4つに分かれた「いかり」を紹介。
焼津の港です。
小石川沿いに進みます。
大井川から材木を運ぶのに使われたそうです。
小川地区には材木屋が多かったそうです。
ここには「小泉八雲諷詠之碑」があります。
「小泉八雲と焼津」の関わりを説明した看板です。
八雲は、通算6回、焼津を訪ねたそうです。
清水さんは、「八丁櫓」の説明もしてくれました。
鷹狩りに来た家康公は、駿府から御座船できたそうですが、
その船のスピードが速くて、護衛を務める漁師たちも追いつけない。
そこで、他では禁止されていた櫓を八丁にして欲しいということで、
焼津の漁師のみ、「八丁櫓」を許されたのだそうです。
早く漁場に付けば、早くたくさん獲れる。
そうして焼津の港は賑わったのだそう。
B班は「浜の会」の永岡さんが担当です。
船の帆などを扱う「帆布」屋さんの建物です。
この道には、焼津市の「デザインマンホール」もありますよ。
ほら!
こちらも!
焼津らしい風景です。
真ん中のマークは、焼津市の市章ですね。
伊豆石で作られた倉庫です。
なぜ伊豆石が焼津にあるのか?
焼津の鰹節を江戸に売りに行った帰り、
空の船では安定性が悪いので、伊豆に寄って、
伊豆石を積み込み持ち帰り、蔵などに使われたそうです。
伊豆石は柔らかく加工がしやすかったので、重宝だったとか。
この倉庫は、壊すことになった金山さん(?)のものを
譲り受けて建て直したそう。
次は「北の弁天さん」です。
松も立派です。沖から見えたのだそう。
船元の奥さんや、船子の奥さんたちが、この神社に籠もって、
夫たちの無事と豊漁を祈ったそうです。
こちらは船元さんのお宅です。
消火栓もいなせです。
こちらは、食品加工業のお宅の典型。
前が住まいで、後ろが加工場だそうです。
こちらは、小泉八雲が滞在した「山口乙吉」さんの住居があった場所です。
現在その建物は、愛知県の明治村に移築されているそうです。
「北の御旅所」です。
焼津神社の荒祭の時に、「御供捧(おんくささげ)」の神事が行われるところです。
「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が、ここから上陸したのだとか。
ここです!!
ここにも「八雲ゆかりの地」の看板があります。
「焼津市教育委員会・小泉八雲顕彰会」すごいですね。
カラーマンホール、ここにあります。
焼津市のマンホールカードの図柄になっているのはこれです。
「焼津観光協会」に行くともらえます。
かつての浜通りの暮らしは、波との闘いであったと。
以前の堤防はこの辺り。
こちらは、「八雲地蔵(波除地蔵)」。
由来はこちら。」
このお地蔵さまは昭和41年に新しく作られたものだそうです。
八雲が見た古いお地蔵さまは、光心寺に祀られているそうです。
こちらは、焼津の水産業に貢献した人々を讃える石碑です。
海岸に近いお宅では、個人宅でもこのくらいの波除けを用意していたと。
続いては、「常照寺」。
浜通り界隈で住職がいらっしゃるお寺は、こちらだけとか。
「おびんずる」さん。
実在の仏さんで「びんずる尊者 」
ありを殺してお釈迦様に叱られたそう。
目を大きく見開いているのが特徴
春、見つけました。
全員が集まり、住職のお話を聴けることに。
浄土宗の数珠のお話。
阿弥陀さまです。
後背には九品仏が祀られています。
この阿弥陀さま、最初は白木のままだったそうですが、
住職のご子息が、北京オリンピックのレスリングで銀メダルを獲得した、
松永共広選手なのですって!
それでその記念に、金箔を掛けたのですが、
銀メダルに因んで、頭光を銀色にしているそうです。
すごいですね〜。
こちらは「魚藍観音」です。
いいお話と、いいものを見せていただきました。
ご住職ありがとうございました。
こちらは、鰹節を作っていたお宅。
昔ながらの佇まいが今も見られます。
美しい素戸です。
この建物は、焼津市に寄贈された建物。
これから、浜通りの発信のために有効利用が検討されているそうです。
「ぬかや」さんのところまで来ました。
お隣は「丸八」さん。
こちらで、アンケートを書いてもらいました。
最後の記念撮影です。
風が強かったですが、お天気には恵まれました。
皆さま、ご参加ありがとうございました。
2018-02-20 08:56
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