2018.0929(土)「みちゆかし」No.07「戦国山城入門 Ⅰ 諏訪原城編」に行ってきました。 [みちゆかし]
2018年9月29日(土)JR金谷駅 9:00集合
「みちゆかし」No.07「戦国山城入門 Ⅰ 諏訪原城編」
に参加してきました。
台風24号が近づくこの日、あいにくのお天気ではありましたが、
かろうじて開催しましたが、後半は参加者の安全のため、
予定を変更しました。集合、受付、点呼をしています。
このプログラムは、基本徒歩移動です。
皆さん、山歩き、城歩きに慣れていらっしゃるご様子。
準備万端です。
金谷駅の脇道から、石畳を目指します。
このロープレ風アングルが好きです。
「旧東海道石畳」に向かいます。
こちらが石畳です。
「鶏頭塚」
江戸時代の俳人「巴静」の句碑があるそうです。
(って、その写真がないっ!汗っ!!)
その奥にある、庚申堂。
この裏で、大盗賊「日本左衛門」が
夜働きの黒装束を着替えたところだとか?
「庚申塔三猿」
「好き事は大いに広め
悪しきをば 見ざる 聞かざる 言わざるが良し」
肝に銘じよう。
「仁誉地蔵尊」
こちらが、受験期にはおなじみの「すべらず地蔵尊」
全国からお参りに来られるそうです。
皆さんの願いです。
この日は、濡れた石と苔で、この石畳が滑る滑る。
なので、ぱらぽんが転びませんようにと、お参りしました。
めちゃ緊張して、筋肉痛になったのは内緒です。
天皇が行幸された記念碑。
その近くに「芭蕉の句碑」
この句碑に使われた石が、この地で採れた「菊石」。
丸くて、菊の花のように見える模様や日々があるのだとか。
この大きさのものは、珍しいそうです。
「諏訪原城跡」駐車場に着きました。
ただ今、こちらでは「諏訪原城」ガイダンス施設を建設中!
こちらが完成予想図です。
ですので、駐車場は、台数が限られますが、
東に約250mのところにも、駐車場があります。
この日はこんな様子でした。
台風前なので、対策が大変だったかも。
学芸員の萩原さんが、発掘調査で出土した品々の一部を
見せてくれました。
笄(こうがい)、素焼きの器、天目茶碗のかけら。
さあ、いよいよ、「国指定史跡 諏訪原城跡」の見学です。
入り口のところに、案内パンフレットと
「続日本100名城」と「わくわくはっけん!」の
スタンプが設置されています。
案内看板があります。
この辺りは、「大手南外堀」です。
「大手南外堀」の解説です。
今は、土が溜まっていますが、
発掘した時は2mくらいの深さの「箱堀」であることがわかったそうです。
「大手曲輪」を望む。
「外堀」に沿って歩きます。
これは深い!
対岸(?)に「諏訪神社」が見えます。
こちらは、後でね!
「大手曲輪」です。
「大手北外堀」です。
「諏訪原城跡」の解説文
広島市立中央図書館蔵の「浅野文庫諸国古城之図」にも
「遠江諏訪原」という記録があるそうです(右下)。
春風亭昇太さんも「こちらに来るたびに撮影してしまう」
と言っていた丸馬出し。
巨大で、
深いです。堀底まで8mもあるそうです。
現在は3m弱、土で埋まってしまっているそうなので、
当時の深さだと11mくらいの深さですって。
さらに堀の横には、土塁も積まれていたので、
底から土塁の上までだと、相当な落差だったことがうかがわれます。
前日、草刈りをしてくれたそうで、見やすくなっていました。
地元の皆さん、ありがとうございます!
アングル内に人が入ると、どれくらい深いのか、わかりますね。
こちらから左手が「惣曲輪」。
木の橋になっていることろは、堀切の橋。
V字型の堀切。
V字の薬研堀。
右側のところが90度の枡形で、横矢掛かりになっているそうな。
正面から来る敵を討つ。
昨年行われた、小学生向の歴史講座では、
ここから、大井川対岸の「島田市博物館」との間で
狼煙(のろし)の実験をしたそうです。
大人にはよくわからなかったようですが、
小学生たちには見えたらしいです。
こちらが「二の曲輪北馬出」。
この土橋を進む時は1列にならざるを得ず、
左の対岸から狙われるわけです。
さらにこの橋は、土橋ではなく「木橋」だったので、
落とされれば渡れない。
「二の曲輪」に向かいます。
この通路の左右には、土塁があります。
本曲輪に向かうには、土橋を渡ります。
夏の城攻めツアーの時に敷いてくれた木片チップが、
いい感じになっていました。
ぬかるまず歩きやすいです。
「本曲輪虎口」
「本曲輪」解説文です。
本曲輪の外周は、垂直の崖のため、
こちらから敵が来ることは想定してはいなかった。
後ろ堅固な城だった。
ここから見下ろすと、こんな感じ。
金谷駅が見えます。
大井川の対岸も見えます。
天気が良ければ、はるか伊豆半島まで見えるとか。
ここも、昨日草刈りをしてくださったそうで、
崖の急な様子がわかるようになっていました。
感謝!
本曲輪の外周を回って、カンカン井戸の方に向かいます。
急な細い道を下りて堀底に着きました。
カンカン井戸です。
また上がってきて、先ほどの二の曲輪の南側に出ました。
古い石碑があります。
この辺で、前回は、この地の主・カモシカさんに出会いました。
これから二の曲輪の東側の馬出が3つ重なっているところを見ます。
「二の曲輪東内馬出」
「二の曲輪東馬出」
もう一つ「二の曲輪南馬出」があります。
こちらは門の礎石があった目印。
ロープの先には、下に降りる道がありました。
もう一つの水脈と、カンカン井戸の方に繋がる道です。
現在は、整備がされてないので、降りると危険なため
通行止になっています。
「諏訪神社」に向かいます。
以前の「諏訪原城跡」の看板です。
「諏訪神社」です。安産祈願ができるようです。
武田家ゆかりの武田菱の家紋があります。
これは近くにあったゆかりの寺が廃寺になってしまい、
台風で壊れたそのお寺から、地元の方が外しておいた瓦を
こちらに使ったのだそうです。
予定ではこの後、「茶の都ミュージアム」まで
歩くことになっていたのですが、
雨がひどくなる予報も出ていたので、こちらでプログラムは終了、
金谷駅まで戻る事になりました。
希望された方は、途中離脱で「茶の都ミュージアム」に行かれました。
茶畑が続く道を歩きました。
これが「惣曲輪」の外側から望む「諏訪原城」です。
途中、別ルートの入り口を見つけました。
この山道から分入るのはちょっと勇気がいります。
金谷駅が見えてきました。
朝作業をしていた草刈り隊のおかげで、
駅への側道はすっきりしていました。
金谷駅にて、終わりのご挨拶。
資料とアンケートが配られ、解散しました。
集合写真を撮り忘れました!
雨の中の山城攻めは、なかなか大変でしたが、
季節が変わるごとに訪れてみると、新発見があるようです。
2018年春、徳川家康公と攻めた時は、こちら。
夏、城廓研究家加藤博文先生と攻めた時は、こちら。
今回秋は、「みちゆかし」にて、島田市教育委員会文化財係、
萩原佳保里学芸員と攻めました。
8月に「島田市博物館」にて行われた、萩原さんの「博物館講座」
「諏訪原城 〜発掘調査の成果と史跡整備の現状〜」の様子は、こちらです。
萩原さん、「みちゆかし」の担当さん、
ありがとうございました。
「みちゆかし」No.07「戦国山城入門 Ⅰ 諏訪原城編」
に参加してきました。
台風24号が近づくこの日、あいにくのお天気ではありましたが、
かろうじて開催しましたが、後半は参加者の安全のため、
予定を変更しました。集合、受付、点呼をしています。
このプログラムは、基本徒歩移動です。
皆さん、山歩き、城歩きに慣れていらっしゃるご様子。
準備万端です。
金谷駅の脇道から、石畳を目指します。
このロープレ風アングルが好きです。
「旧東海道石畳」に向かいます。
こちらが石畳です。
「鶏頭塚」
江戸時代の俳人「巴静」の句碑があるそうです。
(って、その写真がないっ!汗っ!!)
その奥にある、庚申堂。
この裏で、大盗賊「日本左衛門」が
夜働きの黒装束を着替えたところだとか?
「庚申塔三猿」
「好き事は大いに広め
悪しきをば 見ざる 聞かざる 言わざるが良し」
肝に銘じよう。
「仁誉地蔵尊」
こちらが、受験期にはおなじみの「すべらず地蔵尊」
全国からお参りに来られるそうです。
皆さんの願いです。
この日は、濡れた石と苔で、この石畳が滑る滑る。
なので、ぱらぽんが転びませんようにと、お参りしました。
めちゃ緊張して、筋肉痛になったのは内緒です。
天皇が行幸された記念碑。
その近くに「芭蕉の句碑」
この句碑に使われた石が、この地で採れた「菊石」。
丸くて、菊の花のように見える模様や日々があるのだとか。
この大きさのものは、珍しいそうです。
「諏訪原城跡」駐車場に着きました。
ただ今、こちらでは「諏訪原城」ガイダンス施設を建設中!
こちらが完成予想図です。
ですので、駐車場は、台数が限られますが、
東に約250mのところにも、駐車場があります。
この日はこんな様子でした。
台風前なので、対策が大変だったかも。
学芸員の萩原さんが、発掘調査で出土した品々の一部を
見せてくれました。
笄(こうがい)、素焼きの器、天目茶碗のかけら。
さあ、いよいよ、「国指定史跡 諏訪原城跡」の見学です。
入り口のところに、案内パンフレットと
「続日本100名城」と「わくわくはっけん!」の
スタンプが設置されています。
案内看板があります。
この辺りは、「大手南外堀」です。
「大手南外堀」の解説です。
今は、土が溜まっていますが、
発掘した時は2mくらいの深さの「箱堀」であることがわかったそうです。
「大手曲輪」を望む。
「外堀」に沿って歩きます。
これは深い!
対岸(?)に「諏訪神社」が見えます。
こちらは、後でね!
「大手曲輪」です。
「大手北外堀」です。
「諏訪原城跡」の解説文
広島市立中央図書館蔵の「浅野文庫諸国古城之図」にも
「遠江諏訪原」という記録があるそうです(右下)。
春風亭昇太さんも「こちらに来るたびに撮影してしまう」
と言っていた丸馬出し。
巨大で、
深いです。堀底まで8mもあるそうです。
現在は3m弱、土で埋まってしまっているそうなので、
当時の深さだと11mくらいの深さですって。
さらに堀の横には、土塁も積まれていたので、
底から土塁の上までだと、相当な落差だったことがうかがわれます。
前日、草刈りをしてくれたそうで、見やすくなっていました。
地元の皆さん、ありがとうございます!
アングル内に人が入ると、どれくらい深いのか、わかりますね。
こちらから左手が「惣曲輪」。
木の橋になっていることろは、堀切の橋。
V字型の堀切。
V字の薬研堀。
右側のところが90度の枡形で、横矢掛かりになっているそうな。
正面から来る敵を討つ。
昨年行われた、小学生向の歴史講座では、
ここから、大井川対岸の「島田市博物館」との間で
狼煙(のろし)の実験をしたそうです。
大人にはよくわからなかったようですが、
小学生たちには見えたらしいです。
こちらが「二の曲輪北馬出」。
この土橋を進む時は1列にならざるを得ず、
左の対岸から狙われるわけです。
さらにこの橋は、土橋ではなく「木橋」だったので、
落とされれば渡れない。
「二の曲輪」に向かいます。
この通路の左右には、土塁があります。
本曲輪に向かうには、土橋を渡ります。
夏の城攻めツアーの時に敷いてくれた木片チップが、
いい感じになっていました。
ぬかるまず歩きやすいです。
「本曲輪虎口」
「本曲輪」解説文です。
本曲輪の外周は、垂直の崖のため、
こちらから敵が来ることは想定してはいなかった。
後ろ堅固な城だった。
ここから見下ろすと、こんな感じ。
金谷駅が見えます。
大井川の対岸も見えます。
天気が良ければ、はるか伊豆半島まで見えるとか。
ここも、昨日草刈りをしてくださったそうで、
崖の急な様子がわかるようになっていました。
感謝!
本曲輪の外周を回って、カンカン井戸の方に向かいます。
急な細い道を下りて堀底に着きました。
カンカン井戸です。
また上がってきて、先ほどの二の曲輪の南側に出ました。
古い石碑があります。
この辺で、前回は、この地の主・カモシカさんに出会いました。
これから二の曲輪の東側の馬出が3つ重なっているところを見ます。
「二の曲輪東内馬出」
「二の曲輪東馬出」
もう一つ「二の曲輪南馬出」があります。
こちらは門の礎石があった目印。
ロープの先には、下に降りる道がありました。
もう一つの水脈と、カンカン井戸の方に繋がる道です。
現在は、整備がされてないので、降りると危険なため
通行止になっています。
「諏訪神社」に向かいます。
以前の「諏訪原城跡」の看板です。
「諏訪神社」です。安産祈願ができるようです。
武田家ゆかりの武田菱の家紋があります。
これは近くにあったゆかりの寺が廃寺になってしまい、
台風で壊れたそのお寺から、地元の方が外しておいた瓦を
こちらに使ったのだそうです。
予定ではこの後、「茶の都ミュージアム」まで
歩くことになっていたのですが、
雨がひどくなる予報も出ていたので、こちらでプログラムは終了、
金谷駅まで戻る事になりました。
希望された方は、途中離脱で「茶の都ミュージアム」に行かれました。
茶畑が続く道を歩きました。
これが「惣曲輪」の外側から望む「諏訪原城」です。
途中、別ルートの入り口を見つけました。
この山道から分入るのはちょっと勇気がいります。
金谷駅が見えてきました。
朝作業をしていた草刈り隊のおかげで、
駅への側道はすっきりしていました。
金谷駅にて、終わりのご挨拶。
資料とアンケートが配られ、解散しました。
集合写真を撮り忘れました!
雨の中の山城攻めは、なかなか大変でしたが、
季節が変わるごとに訪れてみると、新発見があるようです。
2018年春、徳川家康公と攻めた時は、こちら。
夏、城廓研究家加藤博文先生と攻めた時は、こちら。
今回秋は、「みちゆかし」にて、島田市教育委員会文化財係、
萩原佳保里学芸員と攻めました。
8月に「島田市博物館」にて行われた、萩原さんの「博物館講座」
「諏訪原城 〜発掘調査の成果と史跡整備の現状〜」の様子は、こちらです。
萩原さん、「みちゆかし」の担当さん、
ありがとうございました。
2018-09-29 23:08
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