2019.1015(火)臨済寺の「摩利支天祈祷會 特別一般公開」に出かけてきました。 [勝手に応援団]
2019年10月15日(火)は、静岡市葵区の臨済寺にて
「摩利支天祈祷會 特別一般公開」が行われる日でした。
10月6日(日)に行われた「みちゆかし2019」の
No.09「『今川の里探訪』と『臨済寺』の見どころ特別解説」にて、
普門寺の副住職「田尻昭広」さんがお話してくださった特別公開です。
「臨済寺」10:00です。
「摩利支天祈祷會 特別一般公開」の看板があります。
長蛇の列でしたが、開門と同時に列が進みます。
本堂です。
入場された方々は、すぐに御朱印のお受付に並んでました。
こちらが、入口です。
「摩利支尊天」の掛け軸があります。
「摩利支天」とは。
こちらです。
左右に1体ずつ、
さらに部屋の両脇には、
5体ずつの守護神たちが並びます。
祈祷會で読まれる経典「大般若波羅蜜多経」です。
10巻ずつ「帙(ちつ)」=書物の損傷を防ぐために包む覆い。
厚紙を芯(しん)とし、表に布をはって作るもの、に包まれています。
20巻が一人分かしら?
中央に3人分ずつのお席が。
左右の高くなっているところに6人分ずつ。
合計18人、座れるようになっています。
11:00を過ぎると、お坊さんたちが入堂されました。
それぞれの席に着座して、最後には老師様とお付きのお坊さんが。
摩利支天の前に進み、お経が始まりました。
最初は、「般若心経」のようでした。
リズムよく太鼓を打つ担当のお坊さんと、
大きな鈴を叩きながら、リードする方と。
他の11人のお坊さんたちは、経典の帙を解いて、
中から10巻のお経を取り出しました。
それを、順序よく広げて「転読」し始めました。
「転読」とは、お経の題名と数行を読み、
経巻を繰って全体を読んだことにする読み方のことで、
11人がそれぞれ大きな声で、経題を読み上げ、
折本の経典を右から左へ、はらはらと風を当てるように、
空中に繰り出します。
それは、まるで手品か、パフォーマンスのようで、
以前初めて見たときは、びっくりしました。
そのときは、ご焼香の列に並んでいたので、
ご焼香が済んだら、振り返らずに建物の外に出るしかなく、
何をやっているのだろうと思いました。
なので、今回の拝観では、この「転読」がどのように行われるのかを
どうしても拝見したかったのです。
先日の「みちゆかし」で、田尻さんが、
法要は11時からですが、開場は10時からです。
と、話してくださったので、10時に間に合うように来て、
並んで入場し、まず、この祈祷会の席を取りました。
11人が11人様に繰り出す「転読」の見事さに
見とれ、聴き惚れました。
田尻さんのよく通る声も聴こえました。
そして、お経が終わる頃には、全員がその経典を元の様にしまいました。
そのあとで、老師様が、
耐えられない様な悲しみ、苦しみがあるときに、
どの様にしたら幸せを感じることができるのか?
という法話を話されました。
終了後、祈祷をお願いした人には、お札が授与されました。
お隣のお堂には、「太原雪斎長老」の像と
その師匠である「大休宗休禅師」の像が祀られていました。
裏のお庭の一部です。
本堂には、「山岡鉄舟」の書。
「東照宮守護大摩利支尊天」
「今川氏輝公」の像(写真右)と、「今川義元公」の像(写真左)。
「徳川家康公」が寄贈した「千鳥図」。
猪に乗られた「摩利支天像」。
ただしこちらは、レプリカです。
「太原雪斎長老」の掛け軸です。
こちらは小さな「徳川家康公」像。
祈祷が済んだお坊さんたちは、今度は御朱印書きに忙しそうです。
田尻さんも腕をふるっていました。
「臨済時」の中で、一番古いものがこの階段だそうです。
武田家の侵攻の際にも、燃え残ったのが、唯一この階段だったらしい。
「竹千代手習いの間」
「雪斎長老」使用の「陣中袈裟」。
葵(徳川家)と菊(天皇家)、桐(今川家)の家紋が描かれた木箱。
他にも、いろいろなお宝が公開されていました。
普段は一般公開はしていないお寺なので、
「拝観謝絶」「寺中静粛」?と書かれています。
厳しい修行のお寺であることが分かります。
「臨済寺」の一般公開は、年に2日間だけ許されているもので、
5/19は、「今川義元公」のご命日で、
「氏輝公・義元公の命日忌法要と特別公開」が行われます。
それに対して、この日の10/15日は、
徳川家康公が信仰していた「摩利支尊天」の祈祷祭です。
こちらは、「今川廟」、今川義元公の御霊を祀るものです。
2018年に再建されたものです。
こちらにもお参りさせてもらいました。
外に出て、振り返ると、
周りが山で囲まれていることが分かります。
この本堂は、実は仮本堂で、
かつて戦さのために、武田信玄公に燃やされた後、再建。
そして現在の建物は、再び徳川家康公に燃やされた後、
建てられた仮本堂で、その後、未だに建て替えられてはいないもの。
なのに、その仮本堂がそのまま重要文化財になってしまったのだそう。
「臨済寺」の皆さま、貴重なものを観せていただき、
ありがとうございました。
「摩利支天祈祷會 特別一般公開」が行われる日でした。
10月6日(日)に行われた「みちゆかし2019」の
No.09「『今川の里探訪』と『臨済寺』の見どころ特別解説」にて、
普門寺の副住職「田尻昭広」さんがお話してくださった特別公開です。
「臨済寺」10:00です。
「摩利支天祈祷會 特別一般公開」の看板があります。
長蛇の列でしたが、開門と同時に列が進みます。
本堂です。
入場された方々は、すぐに御朱印のお受付に並んでました。
こちらが、入口です。
「摩利支尊天」の掛け軸があります。
「摩利支天」とは。
こちらです。
左右に1体ずつ、
さらに部屋の両脇には、
5体ずつの守護神たちが並びます。
祈祷會で読まれる経典「大般若波羅蜜多経」です。
10巻ずつ「帙(ちつ)」=書物の損傷を防ぐために包む覆い。
厚紙を芯(しん)とし、表に布をはって作るもの、に包まれています。
20巻が一人分かしら?
中央に3人分ずつのお席が。
左右の高くなっているところに6人分ずつ。
合計18人、座れるようになっています。
11:00を過ぎると、お坊さんたちが入堂されました。
それぞれの席に着座して、最後には老師様とお付きのお坊さんが。
摩利支天の前に進み、お経が始まりました。
最初は、「般若心経」のようでした。
リズムよく太鼓を打つ担当のお坊さんと、
大きな鈴を叩きながら、リードする方と。
他の11人のお坊さんたちは、経典の帙を解いて、
中から10巻のお経を取り出しました。
それを、順序よく広げて「転読」し始めました。
「転読」とは、お経の題名と数行を読み、
経巻を繰って全体を読んだことにする読み方のことで、
11人がそれぞれ大きな声で、経題を読み上げ、
折本の経典を右から左へ、はらはらと風を当てるように、
空中に繰り出します。
それは、まるで手品か、パフォーマンスのようで、
以前初めて見たときは、びっくりしました。
そのときは、ご焼香の列に並んでいたので、
ご焼香が済んだら、振り返らずに建物の外に出るしかなく、
何をやっているのだろうと思いました。
なので、今回の拝観では、この「転読」がどのように行われるのかを
どうしても拝見したかったのです。
先日の「みちゆかし」で、田尻さんが、
法要は11時からですが、開場は10時からです。
と、話してくださったので、10時に間に合うように来て、
並んで入場し、まず、この祈祷会の席を取りました。
11人が11人様に繰り出す「転読」の見事さに
見とれ、聴き惚れました。
田尻さんのよく通る声も聴こえました。
そして、お経が終わる頃には、全員がその経典を元の様にしまいました。
そのあとで、老師様が、
耐えられない様な悲しみ、苦しみがあるときに、
どの様にしたら幸せを感じることができるのか?
という法話を話されました。
終了後、祈祷をお願いした人には、お札が授与されました。
お隣のお堂には、「太原雪斎長老」の像と
その師匠である「大休宗休禅師」の像が祀られていました。
裏のお庭の一部です。
本堂には、「山岡鉄舟」の書。
「東照宮守護大摩利支尊天」
「今川氏輝公」の像(写真右)と、「今川義元公」の像(写真左)。
「徳川家康公」が寄贈した「千鳥図」。
猪に乗られた「摩利支天像」。
ただしこちらは、レプリカです。
「太原雪斎長老」の掛け軸です。
こちらは小さな「徳川家康公」像。
祈祷が済んだお坊さんたちは、今度は御朱印書きに忙しそうです。
田尻さんも腕をふるっていました。
「臨済時」の中で、一番古いものがこの階段だそうです。
武田家の侵攻の際にも、燃え残ったのが、唯一この階段だったらしい。
「竹千代手習いの間」
「雪斎長老」使用の「陣中袈裟」。
葵(徳川家)と菊(天皇家)、桐(今川家)の家紋が描かれた木箱。
他にも、いろいろなお宝が公開されていました。
普段は一般公開はしていないお寺なので、
「拝観謝絶」「寺中静粛」?と書かれています。
厳しい修行のお寺であることが分かります。
「臨済寺」の一般公開は、年に2日間だけ許されているもので、
5/19は、「今川義元公」のご命日で、
「氏輝公・義元公の命日忌法要と特別公開」が行われます。
それに対して、この日の10/15日は、
徳川家康公が信仰していた「摩利支尊天」の祈祷祭です。
こちらは、「今川廟」、今川義元公の御霊を祀るものです。
2018年に再建されたものです。
こちらにもお参りさせてもらいました。
外に出て、振り返ると、
周りが山で囲まれていることが分かります。
この本堂は、実は仮本堂で、
かつて戦さのために、武田信玄公に燃やされた後、再建。
そして現在の建物は、再び徳川家康公に燃やされた後、
建てられた仮本堂で、その後、未だに建て替えられてはいないもの。
なのに、その仮本堂がそのまま重要文化財になってしまったのだそう。
「臨済寺」の皆さま、貴重なものを観せていただき、
ありがとうございました。
2019-10-15 23:43
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