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2020.1031(土)岡村龍男さんが「白子町」に関わる、新発見の古文書を解説しました! [藤枝市郷土博物館・文学館]

2020年10月31日(土)14:00〜
藤枝市郷土博物館・文学館の講座学習室で行われたのは、
「志太の地域史講座」です。

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藤枝宿・田中藩をはじめとする志太地域の歴史トピックスについて、
新たな資料や観点からスポットをあてます。
長年、調査研究活動をしている地域史研究家を講師に招き、
藤枝ゆかりの古文書や文化財、城郭に関する調査成果や新知見を
ご発表いただきます。
地域の歴史や文化財を見直してみましょう!
というコンセプトの講座のようです。


【第1回】は、「新発見の古文書から読み解く藤枝宿白子町の歴史
 〜保福島屋小花家文書の紹介〜」。

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講師を務めるのは、NPO法人「歴史資料継承機構 」
理事の「岡村龍男」さんです。
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NPO法人「歴史資料継承機構(通称 じゃんぴん)」というのは、
「国文学研究資料館准教授」の「西村慎太郎」さんが代表理事を務める団体で、
資料保全活動を必要としている地域に出向き、
史料調査をすることを生き甲斐にしている?
信条は「最強の傭兵」、もの好きな集団(失礼!)のようです。
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設立は、2006年、詳細は、こちらで。
そもそものきっかけが、南伊豆町で見つかった
ベニヤ板に貼り付けられた古文書の解体調査が原点だったそう。

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はじめに【古文書】についてのお話がありました。
「移動する文書たち」と「転出者所蔵史料」
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●「移動する文書たち」とは?
古文書を所有している人が、転居などの理由で、
文書と密接に関わりがある地域から離れざるを得なくて、
その地域には全く根拠を持たないで、生活する人々が所有している文書のこと。
●「転出者所蔵史料」とは?
古文書を所有している人が、その史料が伝来した地を離れ、
史料はその場所に取り残されたもの。
→こういう古文書や史料は、そのどちらかが、
 ゆかりの地から離れてしまっているので、
 文化財行政に把握されにくいという問題がある。
→所蔵者が転居を繰り返すことにより、
 複数の自治体にまたがる内容の史料が蓄積されると、
 自治体としては対応しにくい。

今回の「新発見」の古文書とは?「保福島屋小花家文書」です。
神奈川県在住の「小花」氏は、島田市の出身であった。
その「小花」氏が、所蔵史料(古文書)を島田市博物館に持参したそうです。
(当時、岡村さんは、島田市博物館の学芸員をなさっていました。)
→史料を確認したところ、藤枝宿白子町に関わる史料が大半であった。
 島田市の業務として、調査を行うことは難しいと判断。 
→そこで「ジャンピン」の活動として、2017年1月から3年かけて、
 全4回の調査を行い、約300点の史料を目録化した。

「じゃんぴん」の活動は、基本自腹で、参加しているメンバーの皆さんは、
日常生活から離れた史料調査の現場で活動することが、
日々のストレスを解消するリラクゼーションの場になっているのだとか。
【古文書が読める】貴重な人材の集団なわけですから、
地域としても大切にした方がいいと思いますね、はい。

という大前提をお聞きした上で、岡村龍男さんのお話を伺いました。

【小花家文書】とは?
江戸時代、藤枝宿で小間物屋を営んでいた「小花家」に伝わる古文書のこと。
今回お話いただくのは、
①藤枝宿白子町の由来となった、本能寺の変と徳川家康の動向に関する古文書
②開港直後の横浜に進出した藤枝商人に関する古文書
③幕末の14代将軍徳川家重の上洛への藤枝宿の対応

では、岡村さん、よろしくお願いいたします。
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「保福島屋小花家文書」このような形で、保存されていたそうです。
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小花家文書の概要
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江戸時代:藤枝 → 明治時代:焼津 → 大正時代:島田 → 平成時代:神奈川
*史料も小花家の移動に伴い、藤枝・焼津・島田に間するものが混在。

①白子町の由来
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・白子町の由来と言えば…
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徳川家康朱印状は、藤枝市本町の小川家に伝わっていますが、
小花家文書の中に、朱印状の写しがあったそうです。

山西藤枝白子町由緒書(小花家文書)
本能寺の変と伊賀越え
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なぜ、小花家文書に写しが残されたのか?
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→ 小川孫三が家康から白子町を与えられ、諸役免許となった由緒が、
小川家だけでなく、白子町の重要な由緒となったのでは?

②藤枝商人の横浜進出

*安政5年の日米修好通商条約により、横浜開港、
 駿府町人たちは、同年夏にコレラが大流行する中であったが、
 周到な準備を進め、横浜の一等地に共同運営する店舗を開店。

武州横浜御貿易所駿一休星出店 御触諸日記附入
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安政6(1859)年5月20日〜10月24日まで、約5ヶ月間のできごとと、
当時出された触書などをまとめた帳面。
作成者:小花祥花(平吉の号?)
駿府の一休星出店が横浜にあり、そこを訪ねた?

他にも、
・江戸への旅日記
・江戸での日々(買い物・花火見物)
・横浜到着(次々やってくる外国船)
・外国船の積み荷
・外国貿易(外国への売渡を禁ずる品々)
・使用通貨を巡る混乱
・駿府町人たちの横浜出店
などの文書も紹介されました。

③徳川家茂上洛への対応
文久3(1863)年、公武合体を目指す家茂が上洛を果たす。
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町内家並軒別調帳
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小花家
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小川玄庵
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おわりに
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●「移動する文書たち」としての「小花家文書」調査を終えて
・膨大に存在する「移動する文書たち」の「氷山の一角」であっても、
 見逃さない心構えが必要
→ ただし、マンパワーには限界がある。

・今後、激増することが確実な「移動する文書たち」への対応方法は、
 資料保存を考えていく上での大きな課題である。

*他にも自然災害にともなう、緊急調査も増加の一途をたどっている。

●史料の研究成果 今回はあくまでもごく一部の紹介
①白子町の由緒が、どのように江戸時代の人にとって、
 守り、利用されて来たのかを紹介。
②幕末の横浜開港を受けて、藤枝商人が駿府商人に続いて、
 横浜に進出しようとしていた?
→ 詳細は、今後の課題
③徳川家茂上洛時の白子町の様子を確認
→ 上洛を由緒主張の好機と捉え、何かしらの働きかけをしていたかどうかは未確認

というようなお話でした。
全てをレポートしきれていません。あしからず。
と、いいますか、藤枝宿白子町をはじめとした、
藤枝にまつわる多くのことが書かれていた古文書群のようです。
またあらためて、地元でお話をしていただく機会があればいいなあと思います。

近ごろ、「Go To 商店街」なる取り組みも準備がされているようですが、
単発のイベントにお金を使っちゃうだけでなく、
こういう地道な文化的な事業にも、資金が廻るようになって、
その結果、その調査結果を基に、あらたに人を呼べるような
まち(商店街)になったらいいなあと思いました。

コロナ禍で、断捨離が進むこのごろですが、うちに古文書がある方々は、
捨ててしまう前に、「じゃんぴん」さんたちに解読をお願いしてみてはどうでしょう?
大変な作業になりますから、一応、予算を考えておいてくださいね!
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