映画「青い青い空」舞台挨拶付き上映会 第1回「ふじのくに映画祭2017」③ [ふじのくに映画祭]
2017年2/5(日)15:00〜「藤枝シネ・プレーゴ」で行われたのは、
第1回「ふじのくに映画祭2017」イベントプログラムの3作目
映画「青い青い空」舞台挨拶付き上映会でした。
太田隆文監督は、早くから会場入りして、
打ち合わせをさせてくださいました。「藤枝シネ・プレーゴ」でおなじみの森岡さんも、
写真を撮らせてもらっていましたよ。
この日のスクリーンは、1番です。
作品が上映されました。
この日、司会をするのは、なんと「ぱらぽん」!
会場には、全国各地から太田監督&映画「青い青い空」ファンの皆さまが
かけつけてくれました。
浜松でロケされたこの作品、浜松出身のぱらぽんは、とても楽しめました。
はまホール、お好み焼き、最後の大会に出場するときの衣装など。
「知っているところが出てくると、不思議な気持ちになるでしょう?」と監督。
監督、どうやって見つけてくるんですか〜?
太田監督「大体の場所でシナリオを書いておいて、浜松をロケハンをして、
いい場所を見つけて、それをシナリオの中にとりこんで行くんです」
それを映像の中に残してくださっているのがうれしいです。
太田監督「何年か経つと、それは浜松市の記録になるんですよ」
太田監督「市民俳優の皆さんもオーディションをやって、出てもらっているんです。」
監督の作品に、毎回出てくる市民俳優の方がいらっしゃいますよね?
それから、長門裕之さんの遺作となったこの作品。
シナリオを気に入ってくれて、
地元の人が頑張っている作品だとわかってくれて、出てくれたんです。
「よかったよ、次も頼みますよ」
って言ってくださったけれど、亡くなられてしまって、
次作「朝日のあたる家」では、遺影で出てくださったと。
そのあとの「向日葵の丘 1983年・夏」では、弟さんである
津川雅彦さんが出てくださり、「兄貴がお世話になりました」と
おっしゃってくれたそうです。梶原支配人、いい役でした。
それから、「どうして浜松がロケ地に選ばれたのか…?」について。
最初に題材として「書道」は決まっていたそう。
静岡県は、そしてさらに浜松市は、書道人口がとても多い県なんだそうです。
そういえば、ぱらぽんも小学生の時、お習字の教室に通っていました。
試しに、会場の皆さんに聞いたところ、
かなりの人がお習字を習っていました。
太田監督「でしょ〜!ちゃんと調べているんだから〜。」
いかに書道が身近に、愛し、学び、伝承しているのか?
浜松は書道を大事にしている町なんだということで、選ばれたのだそうです。
何気ない風景や、懐かしいような風景があることも。
普通の町がいい。
誰もが、自分の町と重ねて見られるか?が大事なので、
目立つ観光地でない方がいいのですって。
その町の良さを見つけるには、旅人の目が大事。
自分たちの町がどんなにいい町か、
映画を通して再認識できることが大事だと。
地域映画はPRになるからと、名物を連呼するのはダメで、
物語として見て感動してこそ、ああいい町だったなあと思える。
古いものを大切にしてこそ、美しさを感じたりできる。
いい町だから、行ってみようかという気になる。
そのためには、まず、感動することが大切。
エンドロールに自分の名前や知っている人が出てくるとうれしい。
映画は多くの人の力が集まってできているんですよね。
多くの人に支えられてできている、いいメディアです。
来年も「ふじのくに映画祭」は開かれるようなので、
太田監督「あと2作あるから、来年もやりましょう!」
終了後、監督はロビーで、皆さんとお話したり、
サインをしてくださったり。
ロケを手伝ってくださった皆さんが、駆けつけてくれてました。
浜松・湖西・名古屋・福岡・東京・大阪からもいらしていたそうです。
太田監督!ご参加くださった皆様!ありがとうございました。
皆さまのおかげで、なんとか終えられて本当にホッとしました。
第1回「ふじのくに映画祭2017」イベントプログラムの3作目
映画「青い青い空」舞台挨拶付き上映会でした。
太田隆文監督は、早くから会場入りして、
打ち合わせをさせてくださいました。「藤枝シネ・プレーゴ」でおなじみの森岡さんも、
写真を撮らせてもらっていましたよ。
この日のスクリーンは、1番です。
作品が上映されました。
この日、司会をするのは、なんと「ぱらぽん」!
会場には、全国各地から太田監督&映画「青い青い空」ファンの皆さまが
かけつけてくれました。
浜松でロケされたこの作品、浜松出身のぱらぽんは、とても楽しめました。
はまホール、お好み焼き、最後の大会に出場するときの衣装など。
「知っているところが出てくると、不思議な気持ちになるでしょう?」と監督。
監督、どうやって見つけてくるんですか〜?
太田監督「大体の場所でシナリオを書いておいて、浜松をロケハンをして、
いい場所を見つけて、それをシナリオの中にとりこんで行くんです」
それを映像の中に残してくださっているのがうれしいです。
太田監督「何年か経つと、それは浜松市の記録になるんですよ」
太田監督「市民俳優の皆さんもオーディションをやって、出てもらっているんです。」
監督の作品に、毎回出てくる市民俳優の方がいらっしゃいますよね?
それから、長門裕之さんの遺作となったこの作品。
シナリオを気に入ってくれて、
地元の人が頑張っている作品だとわかってくれて、出てくれたんです。
「よかったよ、次も頼みますよ」
って言ってくださったけれど、亡くなられてしまって、
次作「朝日のあたる家」では、遺影で出てくださったと。
そのあとの「向日葵の丘 1983年・夏」では、弟さんである
津川雅彦さんが出てくださり、「兄貴がお世話になりました」と
おっしゃってくれたそうです。梶原支配人、いい役でした。
それから、「どうして浜松がロケ地に選ばれたのか…?」について。
最初に題材として「書道」は決まっていたそう。
静岡県は、そしてさらに浜松市は、書道人口がとても多い県なんだそうです。
そういえば、ぱらぽんも小学生の時、お習字の教室に通っていました。
試しに、会場の皆さんに聞いたところ、
かなりの人がお習字を習っていました。
太田監督「でしょ〜!ちゃんと調べているんだから〜。」
いかに書道が身近に、愛し、学び、伝承しているのか?
浜松は書道を大事にしている町なんだということで、選ばれたのだそうです。
何気ない風景や、懐かしいような風景があることも。
普通の町がいい。
誰もが、自分の町と重ねて見られるか?が大事なので、
目立つ観光地でない方がいいのですって。
その町の良さを見つけるには、旅人の目が大事。
自分たちの町がどんなにいい町か、
映画を通して再認識できることが大事だと。
地域映画はPRになるからと、名物を連呼するのはダメで、
物語として見て感動してこそ、ああいい町だったなあと思える。
古いものを大切にしてこそ、美しさを感じたりできる。
いい町だから、行ってみようかという気になる。
そのためには、まず、感動することが大切。
エンドロールに自分の名前や知っている人が出てくるとうれしい。
映画は多くの人の力が集まってできているんですよね。
多くの人に支えられてできている、いいメディアです。
来年も「ふじのくに映画祭」は開かれるようなので、
太田監督「あと2作あるから、来年もやりましょう!」
終了後、監督はロビーで、皆さんとお話したり、
サインをしてくださったり。
ロケを手伝ってくださった皆さんが、駆けつけてくれてました。
浜松・湖西・名古屋・福岡・東京・大阪からもいらしていたそうです。
太田監督!ご参加くださった皆様!ありがとうございました。
皆さまのおかげで、なんとか終えられて本当にホッとしました。
2017-02-09 23:28
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