レポート No.31「藤枝の鉄道遺産巡り」【藤枝おんぱく2018】 [SACLABO&藤枝おんぱく]
2018年5月13日(日)藤枝市郷土博物館の学習室です。
この日は、【藤枝おんぱく2018】No.31「藤枝の鉄道遺産巡り」
のプログラムが行われました。
受付は11:45〜です。
初めは、プログラム企画者「山内達仁」さんのご挨拶。
全員が集まるまでの間に、希望者は学習室でビデオを鑑賞します。
12:10〜12:15「こだま高速度試験」
12:15〜12:20 本日の案内
12:30〜 バス出発
鉄分高めな人を喜ばせる書き方の「本日のスケジュール」
「藤枝市郷土博物館」の学芸員さんのご挨拶。
12:30〜 バスが出発します。
ここで、本日の山内解説員さんからの情報です。
昭和34年7月の「こだま高速度試験」は当時の上り線で行われ、
一里山踏切付近の直線でスピードが乗り、
約1.0km先の瀬戸踏切で狭軌世界最高速度163Km/hを達成。
その後、一里山踏切付近の約1.3kmの区間を北側に拡幅して、
試験専用の第三線を敷設。
翌35年11月に新幹線建設のためのデータ収集の総合試験を実施。
その後、第三線は上り線に転用され、
こだま高速度試験で使用した旧上り線は撤去されたため、
現在のように上り線と下り線の間隔が広く空いています。
「こだま高速度試験」を行なった「第三線」(現在の上り線)と
もう撤去されてしまった「旧上り線」の跡を見るために、
最初に向かったのは「一里山踏切」。
踏切を渡りながら、まっすぐに伸びた線路を見てください。
途中で立ち止まらないでくださいね。
このまっすぐな線路は、現在の上り線ですが、
新幹線建設のためのデータ収集の総合試験をするために、
第三線(3番目の線)として敷かれたものです。
「こだま高速度試験」が行われたのは、「旧上り線」。
この中央のロープが張られているところに、走っていた線です。
そこで、昭和34年7月「こだま高速度試験」が行われ、
約1.0km先の瀬戸踏切で狭軌世界最高速度163Km/hを達成。
「瀬戸踏切」は、先ほどバスの車内から見た踏切です。
東海道線の幅を広くして、試験用の「第三線」敷設して、
その後「上り線」として利用するようになったわけです。
山内解説員より。
このまっすぐな線路が現在の上り線で、第三線を転用した路床です。
と言うことは、新幹線用に造られた構造です。
と言うことは、新幹線の原点が埋まっている、いや、その上を走っている。
そうです、東海道線の上り六合~藤枝間を乗車すれば、
新幹線の原点を体感できるのです!
次は「六合駅」。
ここに何があるのか?
1995年11月21日に建立された
「クモヤ93000狭軌最高記録175km/h達成」に記念碑です。
1960年11月21日 六合〜藤枝間
(上り線 202k547m 〜 203k877m)
において175km/h の狭軌最高記録を達成した。
とあります。
山内さんはこの記念碑が、最高記録を樹立した藤枝市内ではなく、
島田市の六合駅に建立されたのが残念そうでした。
それにしても、いつもながらの名調子+ダジャレ付き!
さて、今回は、画期的!
なんとまあ、「大井川鐵道」の整備工場も見学できちゃうんです。
「新金谷」駅です。
広報担当の方が説明してくれました。
「石炭置場」
石炭の原産国は主にオーストラリアやロシア、中国です。
大井川鉄道で使用されている石炭は、正確には「ピッチ練炭(れんたん)」といい、
石炭を砕いて油で固めたものです。
燃えやすく煙や火の粉が出にくいものを使用しています。
黒光りしてました。
最初から石炭に火がつくわけではないので、
着火するために木材も必要なのですって。
大井川鉄道の蒸気機関車たち
「C12164」
「C11 227」
「C10 8」
「C11 190」
「休車中」点検中です。
西武鉄道からやってきたそうです。
「E34」
14:45改札口に集合です。
この日使う乗車券は、こちら。
「準常備片道乗車券(JR連絡用)」
ハサミを入れるところです。
「藤枝駅」まで乗れるんですよ。
こちらの方の記事がくわしいです。
山内解説員より。
硬券です。硬券を買って硬券を復活させてくれた大鉄さんに貢献!
短区間の切符だけにチケット(ちょこっと)ですけどね。
「新金谷駅」14:55発に乗ります。
車両の中は、こんな感じ。
大井川鐵道「金谷駅」に着きました。
JRに乗り換えます。
これからのる「東海道線」
先ほど見た「第三線」の上を走るわけです。
「第三線」へのつなぎ目の違いが乗り心地でわかるでしょうか?
「藤枝駅」に着きました。
山内さんがまたもや見所発見!
「ふじえだ」駅の案内板です。
右の「CA22」のマークにご注目。
これは、2020年のオリンピックに向けて、
外国人にも電車の情報がわかりやすくするための駅番号制の記号番号。
Wikipediaより引用
路線コードはアルファベット2文字で、
1文字目は全路線で「C」(英語の社名に使われるCentralの頭文字)とし、
2文字目は東海道本線を「A」として、東京駅から見て下り方面に向かって
次々に分岐していく路線順に「B」「C」…とアルファベット順で付けていく
番号は東海道本線は熱海駅を「00」とし、
その他の路線は運行系統上(原則として東海道線基準)の分岐点となる駅を「00」とする。
それで、「藤枝駅」は「CA22」となった模様。
山内さんが自慢しているのは、「22」番。
東海道五十三次の藤枝宿が22番目であること、
この数字が一致したことが素晴らしいと。
東海道線場で一致している駅は他にはないらしいです。
さて、お次は、1番線に行きますよ。
ご覧の通り1番線に電車が到着するのは、この3本だけ。
ほとんど降りることができない1番線ですが、
この日は、特別に入らせてもらえるのです。
黄色のヘルメットをかぶっているのが、「藤枝駅」の駅長さん。
駅長さん、自らの案内で1番線に降り立ちました。
そこで見せていただくのが、こちら。
東海道線に残る古い建物「藤枝駅油庫」です。
建設年月は、明治22年(1889年)4月
構造は、煉瓦造り 瓦葺き
煉瓦の積み方は、フランドル式。
こちらです。
島田側から見ると、こんな感じ。
焼津側から見ると、こんな感じ。
あれっ!どこかで見覚えがありませんか?
そうです。こちらです。
「藤枝おんぱく2018」の裏表紙のロケ地はこちらでした。
「藤枝駅」駅長さん!ありがとうございました。
さあ、次に向かうのは、この春オープンしたばかりの
「FUJIEDA mikine(フジエダ ミキネ)
全体図はこんな感じ。
この通路を通って行きます。
こちらに出ました。
「村松八百蔵商店」の隣が、ポケットパークのようになっていました。
ここに「軽便鉄道駿遠線蹟」の碑ができました。
「軽便鉄道駿遠線蹟」
明治22年、東海道本線藤枝駅が開業して、
駅の周辺には商家が並び、人や物資が集まった。
藤枝町出身の笹野甚四郎は、藤枝駅と藤枝町や農山村をむすぶ
軽便鉄道の必要を説き、藤相鉄道株式会社を創設し、
大正2年、藤枝新駅、大手間を開業した。
続いて北は岡部町、南は地頭方まで路線をのばし、
バス路線も買収して事業を拡大した。
戦後、中遠線と接続、駿遠線と改称、藤枝・袋井間64.6kmの
日本一長い軽便鉄道となる。
昭和45年、バス、トラックの普及によりその役割を閉じた。
平成10年5月 青島史蹟保存会
その隣に、こちら。
新幹線を生んだまち藤枝
1959年(昭和34年)7月、東筑南側を走る東海道本線において、
新幹線の実現に向けた電車特急こだま(151系電車)高速度試験が行われ、
市内・瀬戸踏切付近で当時の狭軌に置ける世界最高速度である
時速163キロを記録しました。
藤枝市は「新幹線」誕生の舞台となりました。
この日は雨が降っていたので、軽便跡を散策することはやめ、
バスの車内から説明を聞きながら、見学します。
この道が軽便跡です。
「サンライフ」の駐車場のカーブが、
軽便のレールのカーブになっています。
郷土博物館まで戻ってきました。
この日プレゼントされたのは、
「大井川鐵道SLの全て」
「SLの缶バッジ」
「硬券切符」もお土産にどうぞ!!
博物館内には、「高速度試験」をした「こだま」の
記念撮影コーナーがあります。
皆さま、大変お疲れ様でした。
鉄分がちょっと高めになった気がします。
この日は、【藤枝おんぱく2018】No.31「藤枝の鉄道遺産巡り」
のプログラムが行われました。
受付は11:45〜です。
初めは、プログラム企画者「山内達仁」さんのご挨拶。
全員が集まるまでの間に、希望者は学習室でビデオを鑑賞します。
12:10〜12:15「こだま高速度試験」
12:15〜12:20 本日の案内
12:30〜 バス出発
鉄分高めな人を喜ばせる書き方の「本日のスケジュール」
「藤枝市郷土博物館」の学芸員さんのご挨拶。
12:30〜 バスが出発します。
ここで、本日の山内解説員さんからの情報です。
昭和34年7月の「こだま高速度試験」は当時の上り線で行われ、
一里山踏切付近の直線でスピードが乗り、
約1.0km先の瀬戸踏切で狭軌世界最高速度163Km/hを達成。
その後、一里山踏切付近の約1.3kmの区間を北側に拡幅して、
試験専用の第三線を敷設。
翌35年11月に新幹線建設のためのデータ収集の総合試験を実施。
その後、第三線は上り線に転用され、
こだま高速度試験で使用した旧上り線は撤去されたため、
現在のように上り線と下り線の間隔が広く空いています。
「こだま高速度試験」を行なった「第三線」(現在の上り線)と
もう撤去されてしまった「旧上り線」の跡を見るために、
最初に向かったのは「一里山踏切」。
踏切を渡りながら、まっすぐに伸びた線路を見てください。
途中で立ち止まらないでくださいね。
このまっすぐな線路は、現在の上り線ですが、
新幹線建設のためのデータ収集の総合試験をするために、
第三線(3番目の線)として敷かれたものです。
「こだま高速度試験」が行われたのは、「旧上り線」。
この中央のロープが張られているところに、走っていた線です。
そこで、昭和34年7月「こだま高速度試験」が行われ、
約1.0km先の瀬戸踏切で狭軌世界最高速度163Km/hを達成。
「瀬戸踏切」は、先ほどバスの車内から見た踏切です。
東海道線の幅を広くして、試験用の「第三線」敷設して、
その後「上り線」として利用するようになったわけです。
山内解説員より。
このまっすぐな線路が現在の上り線で、第三線を転用した路床です。
と言うことは、新幹線用に造られた構造です。
と言うことは、新幹線の原点が埋まっている、いや、その上を走っている。
そうです、東海道線の上り六合~藤枝間を乗車すれば、
新幹線の原点を体感できるのです!
次は「六合駅」。
ここに何があるのか?
1995年11月21日に建立された
「クモヤ93000狭軌最高記録175km/h達成」に記念碑です。
1960年11月21日 六合〜藤枝間
(上り線 202k547m 〜 203k877m)
において175km/h の狭軌最高記録を達成した。
とあります。
山内さんはこの記念碑が、最高記録を樹立した藤枝市内ではなく、
島田市の六合駅に建立されたのが残念そうでした。
それにしても、いつもながらの名調子+ダジャレ付き!
さて、今回は、画期的!
なんとまあ、「大井川鐵道」の整備工場も見学できちゃうんです。
「新金谷」駅です。
広報担当の方が説明してくれました。
「石炭置場」
石炭の原産国は主にオーストラリアやロシア、中国です。
大井川鉄道で使用されている石炭は、正確には「ピッチ練炭(れんたん)」といい、
石炭を砕いて油で固めたものです。
燃えやすく煙や火の粉が出にくいものを使用しています。
黒光りしてました。
最初から石炭に火がつくわけではないので、
着火するために木材も必要なのですって。
大井川鉄道の蒸気機関車たち
「C12164」
「C11 227」
「C10 8」
「C11 190」
「休車中」点検中です。
西武鉄道からやってきたそうです。
「E34」
14:45改札口に集合です。
この日使う乗車券は、こちら。
「準常備片道乗車券(JR連絡用)」
ハサミを入れるところです。
「藤枝駅」まで乗れるんですよ。
こちらの方の記事がくわしいです。
山内解説員より。
硬券です。硬券を買って硬券を復活させてくれた大鉄さんに貢献!
短区間の切符だけにチケット(ちょこっと)ですけどね。
「新金谷駅」14:55発に乗ります。
車両の中は、こんな感じ。
大井川鐵道「金谷駅」に着きました。
JRに乗り換えます。
これからのる「東海道線」
先ほど見た「第三線」の上を走るわけです。
「第三線」へのつなぎ目の違いが乗り心地でわかるでしょうか?
「藤枝駅」に着きました。
山内さんがまたもや見所発見!
「ふじえだ」駅の案内板です。
右の「CA22」のマークにご注目。
これは、2020年のオリンピックに向けて、
外国人にも電車の情報がわかりやすくするための駅番号制の記号番号。
Wikipediaより引用
路線コードはアルファベット2文字で、
1文字目は全路線で「C」(英語の社名に使われるCentralの頭文字)とし、
2文字目は東海道本線を「A」として、東京駅から見て下り方面に向かって
次々に分岐していく路線順に「B」「C」…とアルファベット順で付けていく
番号は東海道本線は熱海駅を「00」とし、
その他の路線は運行系統上(原則として東海道線基準)の分岐点となる駅を「00」とする。
それで、「藤枝駅」は「CA22」となった模様。
山内さんが自慢しているのは、「22」番。
東海道五十三次の藤枝宿が22番目であること、
この数字が一致したことが素晴らしいと。
東海道線場で一致している駅は他にはないらしいです。
さて、お次は、1番線に行きますよ。
ご覧の通り1番線に電車が到着するのは、この3本だけ。
ほとんど降りることができない1番線ですが、
この日は、特別に入らせてもらえるのです。
黄色のヘルメットをかぶっているのが、「藤枝駅」の駅長さん。
駅長さん、自らの案内で1番線に降り立ちました。
そこで見せていただくのが、こちら。
東海道線に残る古い建物「藤枝駅油庫」です。
建設年月は、明治22年(1889年)4月
構造は、煉瓦造り 瓦葺き
煉瓦の積み方は、フランドル式。
こちらです。
島田側から見ると、こんな感じ。
焼津側から見ると、こんな感じ。
あれっ!どこかで見覚えがありませんか?
そうです。こちらです。
「藤枝おんぱく2018」の裏表紙のロケ地はこちらでした。
「藤枝駅」駅長さん!ありがとうございました。
さあ、次に向かうのは、この春オープンしたばかりの
「FUJIEDA mikine(フジエダ ミキネ)
全体図はこんな感じ。
この通路を通って行きます。
こちらに出ました。
「村松八百蔵商店」の隣が、ポケットパークのようになっていました。
ここに「軽便鉄道駿遠線蹟」の碑ができました。
「軽便鉄道駿遠線蹟」
明治22年、東海道本線藤枝駅が開業して、
駅の周辺には商家が並び、人や物資が集まった。
藤枝町出身の笹野甚四郎は、藤枝駅と藤枝町や農山村をむすぶ
軽便鉄道の必要を説き、藤相鉄道株式会社を創設し、
大正2年、藤枝新駅、大手間を開業した。
続いて北は岡部町、南は地頭方まで路線をのばし、
バス路線も買収して事業を拡大した。
戦後、中遠線と接続、駿遠線と改称、藤枝・袋井間64.6kmの
日本一長い軽便鉄道となる。
昭和45年、バス、トラックの普及によりその役割を閉じた。
平成10年5月 青島史蹟保存会
その隣に、こちら。
新幹線を生んだまち藤枝
1959年(昭和34年)7月、東筑南側を走る東海道本線において、
新幹線の実現に向けた電車特急こだま(151系電車)高速度試験が行われ、
市内・瀬戸踏切付近で当時の狭軌に置ける世界最高速度である
時速163キロを記録しました。
藤枝市は「新幹線」誕生の舞台となりました。
この日は雨が降っていたので、軽便跡を散策することはやめ、
バスの車内から説明を聞きながら、見学します。
この道が軽便跡です。
「サンライフ」の駐車場のカーブが、
軽便のレールのカーブになっています。
郷土博物館まで戻ってきました。
この日プレゼントされたのは、
「大井川鐵道SLの全て」
「SLの缶バッジ」
「硬券切符」もお土産にどうぞ!!
博物館内には、「高速度試験」をした「こだま」の
記念撮影コーナーがあります。
皆さま、大変お疲れ様でした。
鉄分がちょっと高めになった気がします。
2018-05-14 23:05
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