2018.1002(火)「みちゆかし」No.06「戦国武将!岡部氏の功績を辿る」に参加してきました。 [みちゆかし]
2018年10月2日(火)9:00〜
「みちゆかし」No.06「戦国武将!岡部氏の功績を辿る」
に参加してきました。
集合場所は、大旅籠柏屋です。
まずは、体験棟の2階にて、概略を説明。
藤枝市街道・文化課の小林さんのご挨拶。
そして、この日の案内人「岡部町観光ボランティアの会」
高田さんから、「岡部氏」について説明を受けます。
「岡部氏」に関する資料です。
この日の移動には、藤枝市のバスが用意されていました。
みんなで乗り込み、満員御礼です!
まず立ち寄ったのがこちら。
「岡部氏」の居館跡です。
図の右下の「地の神様・おしゃもっつぁん」がこちら。
この木のこんもりしているのが「地の神様・おしゃもっつぁん」
だそうです。
こちらが岡部氏氏寺「万福寺」廃寺跡。
天台宗のお寺だったそうです。
鎌倉時代に時宗に改宗し、「万福寺」と号した。
こちらが本尊「阿弥陀如来坐像」の写真がこちら。
後に焼津市の海蔵寺に移され、その後岡部氏の子孫により、
大阪府岸和田市へ移され、現在は岸和田教育委員会にて所蔵、
大阪府指定文化財になっているそうです。
この奥に見える看板が、こちら「内宮権現社」跡。
万福寺の南側にあったと言われ、納められていた「狛犬」が
岡部氏の「狼伝説」と結びつき、「狼権現」と呼ばれたらしい。
ご神体は瀬戸産の陶製の狛犬で、
明治時代に社が五社神社に移転された際に、
焼津市の「海蔵寺」に移され、
現在は、東京国立博物館に保管されているそうです。
さらに進みます。
このあたりに「岡部氏」の館があったようです。
たわわに実った田んぼの横を、
歩いていきます。
この先にあるのは、
読めるかな?
←50mを登る「岡部氏一族の墓」
「岡部氏一族の墓」この先です。
こちらです。
岡部氏の祖から何代かが、ここに眠っているそうです。
この案内によると、(引用します)
岡部氏の祖「藤原清綱」は、京より駿河の国に権守として赴任してきた。
新城が過ぎても京に帰らず、この地で帯刀してとどまる。
清綱は、南家出身なので、良い職につくあてもないことがわかっていて、
この地に住むことを決める。
そこで権守の時、得たかもしれない伊勢内宮の御厨の職を
この地でやることになった。(岡部御厨)
平家が栄華を極めた時、伊豆において源頼朝が挙兵したのが、
岡部氏がこの地に来た時であろう。清綱は頼朝の配下になあり、
清綱の子・泰綱の時、藤原を改め岡部とし、
鎌倉幕府において御家人となる。
その後代々この地に住み、地域の人たちを巻き込み、
鎌倉幕府・今川氏と緊密な関係になった。
ここのお墓は、鎌倉時代から今川氏に加担した頃までのものと推察されます。
したがって(1150〜1520)頃の岡部氏の人たちが
ここに眠っているものと思われます。
岡部市の墓の壇下には、万福寺の僧侶の墓もいくつか見られる。
(仮宿歴史研究会)
ちょっと崩れちゃっていますね。
その後で向かったのは、こちら。
藤枝市指定文化財「朝日山城跡」の駐車場です。
案内看板があります。
観光スポットも紹介されています。
①市指定有形文化財「長屋門」と
②国指定有形文化財「大旅籠柏屋」歴史資料館
こちらが、「朝日山城跡」の解説図。
江戸時代に編纂された地誌「駿河記」には、
岡部氏の城と記されているそう。
潮山支峰の牛伏山(標高110.9m)山頂部に築城された
連郭式山城だそうで、市指定史跡。
この「朝日稲荷神社」の奥がそうですが、
この日は台風後で足場が悪いので、上まではいかないことに。
次にバスで移動して、次に向かうのがこちら。
道の左手に見えてきたのが、
「鴫谷家」の「長屋門」で、市指定文化財です。
安政5年(1858)建造の建物で、木造平屋建・寄棟造・茅葺です。
床・押入れ付きの和室と、土間づくりの倉庫があるそうです。
「常願寺」のカヤの木です。
市指定の天然記念物です。
新東名、岡部中学校が見えます。
さらに登っていくと「萬松院」があります。
この日は、特別に公開されていたのが、こちら。
岡部氏の位牌です。
右から、
岡部氏第十四代「岡部美濃守常慶信綱」
「萬松院殿賀雲常慶大居士」
岡部出羽守(萬松院を開いた施主:萬松院開基)
「天桂芳祐大禅定門」
岡部氏第十五代「岡部次郎門正綱公」
「吸江院殿好雪道庵大居士」
岡部氏第十六代「岡部内膳正長盛公」
「雄心院全室久要大居士」
岡部氏第十七代「岡部美濃守宣勝公」
「泉光院殿鐡外可堅大居士」
岡部氏第十八代「岡部内膳正行隆公」
「最乗院殿仁叟紹惠大居士」
そして、達磨大師。
三つの禅宗「黄檗宗」「臨済宗」「曹洞宗」では、
10月5日の達磨さんの立ち日のために、
達磨さんの坐像を出しているので、特別に見せてもらえました。
まだ、手も足もあるみたい(?)でしょうか。
こちらは、「聖観世音菩薩」と
左右の扉に書かれているのが、
左「地蔵菩薩」、道は「不動明王」です。
こちらは「大現修理菩薩」。
修復できたばかりだそうで美しいです。
こちらは、「岡部氏」の家紋「三つ巴」。
こちらが「岡部氏の墓」です。
土塀をめぐらした墓行きの中に、宝篋印塔2基、五輪の塔1基があり、
宝篋印塔は、岡部氏第十四代「岡部美濃守常慶信綱」と「岡部出羽守」、
五輪の塔は、常慶の子・岡部氏第十五代「岡部次郎門正綱公」の墓と
伝えられているそうです。
趣があります。後ろ側から見ると、こんな感じ。
次に移動して、行ったところは、「若宮八幡宮」
延喜8年(908)、京都石清水八幡宮より勧請したとされる。
貞享3年(1868)、岡部長敬によって本殿を造営される。
近隣7郷(岡部本村、内谷、仮宿、横内、高田、村良、兎島)の
鎮護の神として里人に崇敬されたそうです。
手前の鳥居は、注連柱(しめばしら)というそうです。
この「若宮八幡宮」で3年に1度行われる神事「神ころばし」と
「七十五膳」お話を聞きました。市指定の文化財です。
これらの神事は、伊勢神宮への供物を納める時に、
若宮八幡宮に仮納めした様子を伝えているとも考えられ、
岡部氏が伊勢神宮領である岡部御厨の経営に関わっていたことに
由来するのではないかとも考えられているとか。
無事に「大旅籠柏屋」まで戻ってきました。
アンケートを記入して提出しました。
今回のツアーは、今までガイドブックで見たり、
お話で聴いていたことがあった場所だったのですが、
まだ行ったことがなかったところばかりだったので、
とても勉強になりました。
台風の後で、立ち入れないところもありましたが、
大体の場所がわかったので、また訪ねることができます。
解散後は、「和食処一祥庵」で「小エビ天そば」を食べました。
皆さま、ありがとうございました。
「みちゆかし」No.06「戦国武将!岡部氏の功績を辿る」
に参加してきました。
集合場所は、大旅籠柏屋です。
まずは、体験棟の2階にて、概略を説明。
藤枝市街道・文化課の小林さんのご挨拶。
そして、この日の案内人「岡部町観光ボランティアの会」
高田さんから、「岡部氏」について説明を受けます。
「岡部氏」に関する資料です。
この日の移動には、藤枝市のバスが用意されていました。
みんなで乗り込み、満員御礼です!
まず立ち寄ったのがこちら。
「岡部氏」の居館跡です。
図の右下の「地の神様・おしゃもっつぁん」がこちら。
この木のこんもりしているのが「地の神様・おしゃもっつぁん」
だそうです。
こちらが岡部氏氏寺「万福寺」廃寺跡。
天台宗のお寺だったそうです。
鎌倉時代に時宗に改宗し、「万福寺」と号した。
こちらが本尊「阿弥陀如来坐像」の写真がこちら。
後に焼津市の海蔵寺に移され、その後岡部氏の子孫により、
大阪府岸和田市へ移され、現在は岸和田教育委員会にて所蔵、
大阪府指定文化財になっているそうです。
この奥に見える看板が、こちら「内宮権現社」跡。
万福寺の南側にあったと言われ、納められていた「狛犬」が
岡部氏の「狼伝説」と結びつき、「狼権現」と呼ばれたらしい。
ご神体は瀬戸産の陶製の狛犬で、
明治時代に社が五社神社に移転された際に、
焼津市の「海蔵寺」に移され、
現在は、東京国立博物館に保管されているそうです。
さらに進みます。
このあたりに「岡部氏」の館があったようです。
たわわに実った田んぼの横を、
歩いていきます。
この先にあるのは、
読めるかな?
←50mを登る「岡部氏一族の墓」
「岡部氏一族の墓」この先です。
こちらです。
岡部氏の祖から何代かが、ここに眠っているそうです。
この案内によると、(引用します)
岡部氏の祖「藤原清綱」は、京より駿河の国に権守として赴任してきた。
新城が過ぎても京に帰らず、この地で帯刀してとどまる。
清綱は、南家出身なので、良い職につくあてもないことがわかっていて、
この地に住むことを決める。
そこで権守の時、得たかもしれない伊勢内宮の御厨の職を
この地でやることになった。(岡部御厨)
平家が栄華を極めた時、伊豆において源頼朝が挙兵したのが、
岡部氏がこの地に来た時であろう。清綱は頼朝の配下になあり、
清綱の子・泰綱の時、藤原を改め岡部とし、
鎌倉幕府において御家人となる。
その後代々この地に住み、地域の人たちを巻き込み、
鎌倉幕府・今川氏と緊密な関係になった。
ここのお墓は、鎌倉時代から今川氏に加担した頃までのものと推察されます。
したがって(1150〜1520)頃の岡部氏の人たちが
ここに眠っているものと思われます。
岡部市の墓の壇下には、万福寺の僧侶の墓もいくつか見られる。
(仮宿歴史研究会)
ちょっと崩れちゃっていますね。
その後で向かったのは、こちら。
藤枝市指定文化財「朝日山城跡」の駐車場です。
案内看板があります。
観光スポットも紹介されています。
①市指定有形文化財「長屋門」と
②国指定有形文化財「大旅籠柏屋」歴史資料館
こちらが、「朝日山城跡」の解説図。
江戸時代に編纂された地誌「駿河記」には、
岡部氏の城と記されているそう。
潮山支峰の牛伏山(標高110.9m)山頂部に築城された
連郭式山城だそうで、市指定史跡。
この「朝日稲荷神社」の奥がそうですが、
この日は台風後で足場が悪いので、上まではいかないことに。
次にバスで移動して、次に向かうのがこちら。
道の左手に見えてきたのが、
「鴫谷家」の「長屋門」で、市指定文化財です。
安政5年(1858)建造の建物で、木造平屋建・寄棟造・茅葺です。
床・押入れ付きの和室と、土間づくりの倉庫があるそうです。
「常願寺」のカヤの木です。
市指定の天然記念物です。
新東名、岡部中学校が見えます。
さらに登っていくと「萬松院」があります。
この日は、特別に公開されていたのが、こちら。
岡部氏の位牌です。
右から、
岡部氏第十四代「岡部美濃守常慶信綱」
「萬松院殿賀雲常慶大居士」
岡部出羽守(萬松院を開いた施主:萬松院開基)
「天桂芳祐大禅定門」
岡部氏第十五代「岡部次郎門正綱公」
「吸江院殿好雪道庵大居士」
岡部氏第十六代「岡部内膳正長盛公」
「雄心院全室久要大居士」
岡部氏第十七代「岡部美濃守宣勝公」
「泉光院殿鐡外可堅大居士」
岡部氏第十八代「岡部内膳正行隆公」
「最乗院殿仁叟紹惠大居士」
そして、達磨大師。
三つの禅宗「黄檗宗」「臨済宗」「曹洞宗」では、
10月5日の達磨さんの立ち日のために、
達磨さんの坐像を出しているので、特別に見せてもらえました。
まだ、手も足もあるみたい(?)でしょうか。
こちらは、「聖観世音菩薩」と
左右の扉に書かれているのが、
左「地蔵菩薩」、道は「不動明王」です。
こちらは「大現修理菩薩」。
修復できたばかりだそうで美しいです。
こちらは、「岡部氏」の家紋「三つ巴」。
こちらが「岡部氏の墓」です。
土塀をめぐらした墓行きの中に、宝篋印塔2基、五輪の塔1基があり、
宝篋印塔は、岡部氏第十四代「岡部美濃守常慶信綱」と「岡部出羽守」、
五輪の塔は、常慶の子・岡部氏第十五代「岡部次郎門正綱公」の墓と
伝えられているそうです。
趣があります。後ろ側から見ると、こんな感じ。
次に移動して、行ったところは、「若宮八幡宮」
延喜8年(908)、京都石清水八幡宮より勧請したとされる。
貞享3年(1868)、岡部長敬によって本殿を造営される。
近隣7郷(岡部本村、内谷、仮宿、横内、高田、村良、兎島)の
鎮護の神として里人に崇敬されたそうです。
手前の鳥居は、注連柱(しめばしら)というそうです。
この「若宮八幡宮」で3年に1度行われる神事「神ころばし」と
「七十五膳」お話を聞きました。市指定の文化財です。
これらの神事は、伊勢神宮への供物を納める時に、
若宮八幡宮に仮納めした様子を伝えているとも考えられ、
岡部氏が伊勢神宮領である岡部御厨の経営に関わっていたことに
由来するのではないかとも考えられているとか。
無事に「大旅籠柏屋」まで戻ってきました。
アンケートを記入して提出しました。
今回のツアーは、今までガイドブックで見たり、
お話で聴いていたことがあった場所だったのですが、
まだ行ったことがなかったところばかりだったので、
とても勉強になりました。
台風の後で、立ち入れないところもありましたが、
大体の場所がわかったので、また訪ねることができます。
解散後は、「和食処一祥庵」で「小エビ天そば」を食べました。
皆さま、ありがとうございました。
2018-10-05 14:27
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