2020.0726(日)「軽便SL『B-15』リニューアルお披露目式」を見学しました。 [藤枝市郷土博物館・文学館]
2020年7月26日(日)10:00〜
藤枝市郷土博物館・文学館前の広場です。
この日は、駿遠線廃止50周年を記念して行われた
「軽便SL『B-15』リニューアル」のお披露目式が行われました。
この日の主役、「軽便SL『B-15』」です。
この日配られた資料から、転記させていただきます。
========================
日本一長い軽便鉄道「静岡鉄道駿遠線」
大正から昭和時代にかけて、藤枝と相良方面をつなぐ軽便鉄道が走っていた。
軽便の歴史は古く、明治44年(1911)、当時の藤枝町をはじめ、
志太・榛原地域の有力者35名が発起人となり、
藤相鉄道(株)を設立したことに始まる。
大正2年(1913)、大手駅〜藤枝新駅間が開業し、
大正7年(1918)には相良駅まで全通した。
大正末期には岡部や地頭方へも延伸。
国鉄藤枝駅へ接続する藤相鉄道は、藤枝の特産である
お茶・みかん・志太梨をはじめ、志太・榛原の特産物を輸送・
出荷するための鉄道として、地域の発展に重要な役割を果たした。
昭和18年(1943)、太平洋戦時中の国策により、静岡電気鉄道、
藤相鉄道、中遠鉄道、静岡乗合自動車、静岡交通自動車の5社が合併し、
静岡鉄道株式会社となった。
昭和23年(1948)、袋井駅〜新三俣駅間を運転していた中遠線と接続したことで、
西駿河の藤枝と遠州袋井をつなぐ鉄道という意味で、
静岡鉄道駿遠線と改称された。
大手駅〜袋井駅間の全線の総延長は64.6kmとなり、
昭和戦後に営業した軽便鉄道では日本一の長さを誇った。
昭和20〜30年代、終戦直後の食糧の買い出し客や、高度経済成長期の通勤・通学客、
夏の海水浴客で軽便は大変にぎわい、「け〜べん」の愛称で親しまれた。
しかし、バス・トラック・マイカーの普及によるモータリゼーションの波や、
大井川木橋の老朽化により営業を続けることが困難となり、
昭和39年(1964)から区間ごとに順次廃線となった。
昭和45年(1970)7月31日、最後の新藤枝駅〜大井川駅間が廃止となり、
約57年に及ぶ軽便の歴史は惜しまれながら幕を閉じた。
==========================
軽便が廃止されてから、今年でちょうど50年になるのだそうです。
再び、先ほどの資料から。
==========================
駿遠線の蒸気機関車「B15」
正式名称は、「静岡鉄道B8形15号機」。
動輪が4輪、車軸が2軸(B形)の8トンのタンク機関車である。
太平洋戦争中に設計され、
戦後の昭和23年(1948)に、静岡鉄道駿遠線に導入された
「立山重工業(富山県)」製の、戦時企画車2両のうちの1両(製造番号L8008)。
同社は、主に専用鉄道向けに機関車を製造していたが、
燃料統制の影響で静岡鉄道のような地方私鉄でも採用された。
昭和23年当時、
駿遠線では終戦後の急激な輸送力拡大に対応するために、
蒸気機関車を増備する必要があった。
「B-15」は、物資統制下に作られた簡素な戦時設計であり、
余分な装飾はなく、天井や床、窓枠は木で作られている。
駿遠線を走行したのは昭和23年〜27年の短期間である。
駿遠線の蒸気機関車の多くがディーゼル機関車に改造されるなか、
「B-15」 は、改造に不向きであったため、予備用機関車としてそのまま温存された。
昭和32年(1957)年、駿府公園内の静岡県立児童会館の開館に際して、
静岡鉄道株式会社から県へ寄贈され展示されていたが、
昭和59年(1984)、老朽化により静岡鉄道へ返却された。
その後、同社の長沼工場で保管されていたが、
昭和63年(1988)5月、静岡鉄道株式会社より藤枝市郷土博物館へ寄贈された。
======================================
【車両諸元】全長5000mm、全幅1770mm、全高2660mm
この車両「B-15」の人生、ならぬ車生70年あまりについて、
知らされると、感慨深いものがあります。
============================================================
「B-15」の辿った軌跡
昭和23年(1948)「立山重工業(富山県)」で戦時設計される。
昭和27年(1952)3月、駿遠線、蒸気機関車の使用を廃止する。
「B-15」の運転期間は約4年で終わる。
昭和29年(1954)この年までm駿遠線に「B-15」の車籍あり。
(蒸気機関車の車籍は、「B-15」の1両のみ)
最後の改造予定車であったが、改造されることなく
駿遠線の袋井工場で保管される。
昭和32年(1957)11月、静岡鉄道株式会社より駿府公園内の県立児童会館へ寄贈され、
館内展示ののち屋外展示される。
*昭和48年4月、児童会館が県から静岡市に移管。
昭和59年(1984)10月、老朽化のため静岡鉄道株式会社に返却され、
同社・静岡清水線の長沼工場で保管される。
昭和62年(1987)11月2日、藤枝市郷土博物館、開館。
昭和63年(1988)3〜5月、郷土博物館が「B-15」の保管を知り、現地調査を行い、
保存展示の検討を始める。
静岡鉄道株式会社より無償譲渡の意向が示される。
5月26日、静岡鉄道株式会社より藤枝市へ寄贈される。
7月12日、長沼工場より郷土博物館へ搬入される。
平成元年(1989)3月20日、機関車修復と展示シェルター設備工事を経て、
郷土博物館の北側広場に屋外展示される。
平成18年(2006)5〜10月、藤枝市文学館建設に伴う展示位置の変更に際し、
大井川鐵道株式会社金谷車両区で「B-15 」の保存修理を行う。
翌年3月に完了、公開。
令和2年(2020)1〜3月、駿遠線廃止50周年を記念し、「B-15」の再整備・再塗装と
プラットホーム再現・駅名板設置を行う。
7月26日、31日の廃止記念日を前に、
「B-15」リニューアルお披露目式を開催。
*参考/中村修『静岡鉄道駿遠線車両史』(2000年)、福井健太調査(2020年)による。
そういうわけで、この「B-15」車両は、この場所に設置されて、
子どもたちや皆さんに楽しんでもらえることは、
とてもうれしいことなんですね。
この日は、そのお祝い、記念日です!
よかったね〜!!
今回された整備についてもご紹介しておきます。
======================
「B-15」整備内容
・車体の塗装、傾き是正
・汽笛の修理、コンプレッサー設置
・運転台床板に鉄板張り
・運転台機器の疑似操作修理
・ヘッドランプ新設
・プラットホーム再現
・駅名板・説明板の新設
・フェンス・階段手すりの設置
・レトロ照明・ライトアップ照明の新設
ホントに立派です。
さあ、式典が始まります。
まずは、「北村正平」藤枝市長のご挨拶です。
これまでの経緯を説明してくださいました。
この整備作業は、大井川鐵道のプロたちが力を貸してくれたそうです。
そして今回、多大な尽力を賜りました
静岡鉄道株式会社の「今田智久」社長です。
今回の整備に出資してくださいました。
本当にありがとうございました。
こちらは、「藤相鉄道唱歌」の記念CDです。
軽便「静岡鉄道駿遠線」廃止50周年を記念して作られました。
その歌を歌ってくれているのが、この方たち。
「藤枝少年少女合唱団」の皆さんです。
実は、この合唱団、2007年3月に取材させてもらったことがあります。
その記事は、こちら。
この日は、「藤相鉄道唱歌」の藤枝が出てくるものだけ、
歌ってくれました。
途中、雨が強く降るようになって、濡れながらでしたが、
合唱団の皆さんが最後まで歌ってくれました。
お疲れ様でした。ありがとうございました。
そして、メインイベントです。
「駅名板」の除幕式です。
北村市長と、今田社長がご一緒に、この紅白の綱を引きます。
引きました!
お目見えしました。
おめでとうございます。
現地には、顔ハメ看板もできています。
夕方には、このようにライトアップもされるようです。
皆さま、「Bー15」車両の周りで、思い思いの写真を撮影してください。
あらためて、今回の展示、
藤枝市郷土博物館特別展 軽便廃止50周年記念
「さようなら駿遠線50年 日本一の軽便鉄道」
をご覧になってください。
【おまけの話】
これを楽しみにしてきたのですが、
すでに【売り切れ】になってました。
ああ、あの日にやっておけばよかったなあ。
藤枝市郷土博物館・文学館前の広場です。
この日は、駿遠線廃止50周年を記念して行われた
「軽便SL『B-15』リニューアル」のお披露目式が行われました。
この日の主役、「軽便SL『B-15』」です。
この日配られた資料から、転記させていただきます。
========================
日本一長い軽便鉄道「静岡鉄道駿遠線」
大正から昭和時代にかけて、藤枝と相良方面をつなぐ軽便鉄道が走っていた。
軽便の歴史は古く、明治44年(1911)、当時の藤枝町をはじめ、
志太・榛原地域の有力者35名が発起人となり、
藤相鉄道(株)を設立したことに始まる。
大正2年(1913)、大手駅〜藤枝新駅間が開業し、
大正7年(1918)には相良駅まで全通した。
大正末期には岡部や地頭方へも延伸。
国鉄藤枝駅へ接続する藤相鉄道は、藤枝の特産である
お茶・みかん・志太梨をはじめ、志太・榛原の特産物を輸送・
出荷するための鉄道として、地域の発展に重要な役割を果たした。
昭和18年(1943)、太平洋戦時中の国策により、静岡電気鉄道、
藤相鉄道、中遠鉄道、静岡乗合自動車、静岡交通自動車の5社が合併し、
静岡鉄道株式会社となった。
昭和23年(1948)、袋井駅〜新三俣駅間を運転していた中遠線と接続したことで、
西駿河の藤枝と遠州袋井をつなぐ鉄道という意味で、
静岡鉄道駿遠線と改称された。
大手駅〜袋井駅間の全線の総延長は64.6kmとなり、
昭和戦後に営業した軽便鉄道では日本一の長さを誇った。
昭和20〜30年代、終戦直後の食糧の買い出し客や、高度経済成長期の通勤・通学客、
夏の海水浴客で軽便は大変にぎわい、「け〜べん」の愛称で親しまれた。
しかし、バス・トラック・マイカーの普及によるモータリゼーションの波や、
大井川木橋の老朽化により営業を続けることが困難となり、
昭和39年(1964)から区間ごとに順次廃線となった。
昭和45年(1970)7月31日、最後の新藤枝駅〜大井川駅間が廃止となり、
約57年に及ぶ軽便の歴史は惜しまれながら幕を閉じた。
==========================
軽便が廃止されてから、今年でちょうど50年になるのだそうです。
再び、先ほどの資料から。
==========================
駿遠線の蒸気機関車「B15」
正式名称は、「静岡鉄道B8形15号機」。
動輪が4輪、車軸が2軸(B形)の8トンのタンク機関車である。
太平洋戦争中に設計され、
戦後の昭和23年(1948)に、静岡鉄道駿遠線に導入された
「立山重工業(富山県)」製の、戦時企画車2両のうちの1両(製造番号L8008)。
同社は、主に専用鉄道向けに機関車を製造していたが、
燃料統制の影響で静岡鉄道のような地方私鉄でも採用された。
昭和23年当時、
駿遠線では終戦後の急激な輸送力拡大に対応するために、
蒸気機関車を増備する必要があった。
「B-15」は、物資統制下に作られた簡素な戦時設計であり、
余分な装飾はなく、天井や床、窓枠は木で作られている。
駿遠線を走行したのは昭和23年〜27年の短期間である。
駿遠線の蒸気機関車の多くがディーゼル機関車に改造されるなか、
「B-15」 は、改造に不向きであったため、予備用機関車としてそのまま温存された。
昭和32年(1957)年、駿府公園内の静岡県立児童会館の開館に際して、
静岡鉄道株式会社から県へ寄贈され展示されていたが、
昭和59年(1984)、老朽化により静岡鉄道へ返却された。
その後、同社の長沼工場で保管されていたが、
昭和63年(1988)5月、静岡鉄道株式会社より藤枝市郷土博物館へ寄贈された。
======================================
【車両諸元】全長5000mm、全幅1770mm、全高2660mm
この車両「B-15」の人生、ならぬ車生70年あまりについて、
知らされると、感慨深いものがあります。
============================================================
「B-15」の辿った軌跡
昭和23年(1948)「立山重工業(富山県)」で戦時設計される。
昭和27年(1952)3月、駿遠線、蒸気機関車の使用を廃止する。
「B-15」の運転期間は約4年で終わる。
昭和29年(1954)この年までm駿遠線に「B-15」の車籍あり。
(蒸気機関車の車籍は、「B-15」の1両のみ)
最後の改造予定車であったが、改造されることなく
駿遠線の袋井工場で保管される。
昭和32年(1957)11月、静岡鉄道株式会社より駿府公園内の県立児童会館へ寄贈され、
館内展示ののち屋外展示される。
*昭和48年4月、児童会館が県から静岡市に移管。
昭和59年(1984)10月、老朽化のため静岡鉄道株式会社に返却され、
同社・静岡清水線の長沼工場で保管される。
昭和62年(1987)11月2日、藤枝市郷土博物館、開館。
昭和63年(1988)3〜5月、郷土博物館が「B-15」の保管を知り、現地調査を行い、
保存展示の検討を始める。
静岡鉄道株式会社より無償譲渡の意向が示される。
5月26日、静岡鉄道株式会社より藤枝市へ寄贈される。
7月12日、長沼工場より郷土博物館へ搬入される。
平成元年(1989)3月20日、機関車修復と展示シェルター設備工事を経て、
郷土博物館の北側広場に屋外展示される。
平成18年(2006)5〜10月、藤枝市文学館建設に伴う展示位置の変更に際し、
大井川鐵道株式会社金谷車両区で「B-15 」の保存修理を行う。
翌年3月に完了、公開。
令和2年(2020)1〜3月、駿遠線廃止50周年を記念し、「B-15」の再整備・再塗装と
プラットホーム再現・駅名板設置を行う。
7月26日、31日の廃止記念日を前に、
「B-15」リニューアルお披露目式を開催。
*参考/中村修『静岡鉄道駿遠線車両史』(2000年)、福井健太調査(2020年)による。
そういうわけで、この「B-15」車両は、この場所に設置されて、
子どもたちや皆さんに楽しんでもらえることは、
とてもうれしいことなんですね。
この日は、そのお祝い、記念日です!
よかったね〜!!
今回された整備についてもご紹介しておきます。
======================
「B-15」整備内容
・車体の塗装、傾き是正
・汽笛の修理、コンプレッサー設置
・運転台床板に鉄板張り
・運転台機器の疑似操作修理
・ヘッドランプ新設
・プラットホーム再現
・駅名板・説明板の新設
・フェンス・階段手すりの設置
・レトロ照明・ライトアップ照明の新設
ホントに立派です。
さあ、式典が始まります。
まずは、「北村正平」藤枝市長のご挨拶です。
これまでの経緯を説明してくださいました。
この整備作業は、大井川鐵道のプロたちが力を貸してくれたそうです。
そして今回、多大な尽力を賜りました
静岡鉄道株式会社の「今田智久」社長です。
今回の整備に出資してくださいました。
本当にありがとうございました。
こちらは、「藤相鉄道唱歌」の記念CDです。
軽便「静岡鉄道駿遠線」廃止50周年を記念して作られました。
その歌を歌ってくれているのが、この方たち。
「藤枝少年少女合唱団」の皆さんです。
実は、この合唱団、2007年3月に取材させてもらったことがあります。
その記事は、こちら。
この日は、「藤相鉄道唱歌」の藤枝が出てくるものだけ、
歌ってくれました。
途中、雨が強く降るようになって、濡れながらでしたが、
合唱団の皆さんが最後まで歌ってくれました。
お疲れ様でした。ありがとうございました。
そして、メインイベントです。
「駅名板」の除幕式です。
北村市長と、今田社長がご一緒に、この紅白の綱を引きます。
引きました!
お目見えしました。
おめでとうございます。
現地には、顔ハメ看板もできています。
夕方には、このようにライトアップもされるようです。
皆さま、「Bー15」車両の周りで、思い思いの写真を撮影してください。
あらためて、今回の展示、
藤枝市郷土博物館特別展 軽便廃止50周年記念
「さようなら駿遠線50年 日本一の軽便鉄道」
をご覧になってください。
【おまけの話】
これを楽しみにしてきたのですが、
すでに【売り切れ】になってました。
ああ、あの日にやっておけばよかったなあ。
2020-07-26 12:33
nice!(0)